みなさんは落語って聴きますか?
私は、ほぼ毎日聴いています。
聴いている場所は、通勤の車の中と、
週末に土日の夕飯の準備をしている時です。
車では、CDで立川志の輔さんの『はんどたおる』
料理中は、決まって志ん朝さんの『芝浜』をYouTubeで流しっぱなしにします。
土日の夕飯の準備を金夜と土夜にしているのですが、
常に志ん朝さんの芝浜を聴いているので、料理をしていると毎回師走の喧噪の中にいる気がして年末感が漂います笑 ※芝浜をご存じない方は、ストーリーなど是非調べてみてください。
落語全般にハマっているというよりも、特定の落語家の特定の演目にドハマりしている
極めて間口の狭い趣味です。私は、面白いM-1のネタなら50回見ても、100回見ても飽きないタイプ。とろサーモン、かまいたち、オズワルドの漫才ネタは本当に100回くらい見ている気がします。
で、今回は、落語の魅力を語りたいわけではなく、むしろ逆で、
落語がもたらした負の側面を紹介したいと思います。
まず1つ目。車の中で落語を聴いているのですが、平日も休日も関係なく流しっぱなしにしています。うちには、4歳と1歳の子ども達がおります。車で寝かしたい時は、オルゴールの音楽を流したりするのですが基本は、志の輔落語1本です。
子どもなので、口調を真似したりするわけです。
ちょっとまずいなあと思ったのが、4歳の息子が「お前」「バカ野郎」という言葉をちょくちょく使うようになってしまったことです。
『はんどたおる』というのは、夫婦喧嘩の際中に新聞の勧誘がやってくるという話なのですが、旦那さんが「おい!新聞屋」とか「お前なあ」とか「バカ野郎」とか結構な頻度で連呼するんです。何回も何回も聴くうちに、うちの息子にもすっかり移ってしまいました。。。
そして二つ目。落語好きが高じて、最近は車の中で、自分も流れに合わせて同じように喋るようにしているんです。子どもと変わりませんね。
これが誠に気持ちがよくていいストレス解消になるんです。
こないだちょっと窓を開けて、『はんどたおる』のクライマックスのシーンを喋っていました。「おい!俺のはどうなってるんだよ。ドームのチケットはどうなってるんだよ!」と大声で喋ってたら、なんか右側から視線を感じるではないですか。
ぱっと右側を見ると、自転車に乗ったお巡りさんが不思議そうな顔でこちらを見ておりました。職務質問されることもなく、何事もなかったのですが、なんだか非常に恥ずかしい思いをしました。
落語にハマるのもほどほどにしないといけません。
でもこれは密かに信じていることですが、幼少期に落語等にハマった経験がある人は、
とかく喋りがうまくサービス精神が旺盛で、人づきあいで苦労することが少ないんじゃないかと。
なので、子どもからやめてくれとクレームが入らない限りは、
一緒に聴きこんでいこうと思うのです。