書評習慣

読書は年収に比例すると思います。新卒から約10年法人営業に従事したのち、縁あって地方都市へ移住。妻の実家の事業を継いで、ほぼセミリタイアの状態に。何不自由がない生活になったので、とにかく謙虚に生きることを心がけております。二人の子どもに恵まれ育児に奮闘中です。昔から本好きだったので、面白い本を紹介したり、コラムを書いたりしています。最近ハマッていることは、料理、株式投資、ホームセンターです。30代半ばダウンタウン世代のど真ん中です。

【エッセイ】いきなりタメ口で話してくる人をどう整理するか?

たまにいますよね。

 

初対面なのに、タメ口で話してくる人。

 

その理由は、いくつかあるかもしれないですが、

概ね、「相手をなめている」という点に集約されると思います。

 

相手が危害を加えてくる可能性がある場合は、

絶対にタメ口などききませんから。

 

じゃあ、なぜこちらをなめてくるのか?

 

年下だと思っている。

格下だと思っている。

礼儀知らずで誰にでも同じ対応を取っている。

 

くらいが理由かと思いますが、勝手に思い込んでいる訳です。

 

要するにタメ口をきいても大丈夫な相手だとたかをくくっている訳です。

 

おそらくこの手の人は、車の運転においても都合よく解釈するタイプで、

「かもしれない運転」ができないタイプです。

 

つまり、年上かもしれない。敬うべき相手かもしれない。

という思考が働かない訳ですね。

 

大変な危険思想の持ち主だと思います笑

 

なので、この手の人に出会った場合は、怒ることなく

こう思うようにしたほうが得策です。

 

「この人は人のことを誤解してしまう人なんだと」

 

初対面で、瞬時に相手の事を判断し、タメ口をきいてしまうというのは、

冷静に考えると、非常に危険な人物だと言わざるを得ません。

 

できる限り冷静に対応して、早めに距離を取るべきなんです。

 

物事を高圧的に誤解し続ける人というのは、一見強くて相手をねじ伏せているように見せますが、徐々に距離を置かれ、人と信頼関係がなかなか築けないという欠点があります。

 

そして、人と信頼関係が築けない人というのは、人から受け取るものが極端に少なくなってしまう。そもそも信用されにくいので、その人の言う事は話半分で聞かれてしまう。

 

結論どういうことか?

 

取るに足らない人だということが分かるわけです。

揉めて噛みつかれでもしようものなら、百害あって一利なし。

絶対に関わってはいけない相手です。

 

初対面でいきなりタメ口をきいてくるような相手には、慇懃無礼に接して、

とにかくソーシャルディスタンスを保つことが肝要です。

 

ウイルス感染を防ぐ行為に似ていると思います。

【エッセイ】関テレのドラマが面白い理由

私「(鼻歌)フフフフ、フー、フフフフ」

奥さん「みたの?笑」

私「昨日起きて観た。ハッピーエンドではなかったけどね」

奥さん「私も最後の方は観た」

 

察しのいい方はすでにお気づきかもしれません。

火曜ドラマ『竜の道』の最終回の話です。

 

鼻歌は、SEKAI NO OWARI『umbrella』のAメロ(?)の部分。

「私は君を濡らす」のとこです。曲調がドラマの世界観に合っていで最高です。

 

エンドロールに注目すると『竜の道』もカンテレでした。

実は、『CRISIS』も『銭の戦争』も、『アンフェア』も全部カンテレです。

 

なぜカンテレは見逃すと凹むレベルのドラマを作るのか?

ずっと気にはなっていました。少し調べてみると、

以下の文にヒントを発見しました。

 

「実は地方局でプライムタイムに全国放送のドラマ枠を持っているのは関西テレビだけ。関西テレビのドラマ制作は、かつて独立系映像制作会社に制作協力を仰ぐケースが多かった。しかし制作会社の力を借りずにドラマを作ろうという機運が高まった時期があり、大赤字を出しながらもドラマを自主制作中心へと切り替えてきました。この社内のムーブメントがコンテンツ制作力を磨き、今回のCRISISを生み出しました」

 

※参照 関テレ「公安ドラマ」は世界でヒットするのか より https://toyokeizai.net/articles/-/166526

 

キーワードは「内製」ではないかと思っています。

 

実は「超内製」でヒットしているTVコンテンツは他にもあります。

 

例えば、

 

アメトーーク!加地倫三、「ゴッドタン」佐久間宣行、「水曜どうでしょう藤村忠寿

 

3人の共通点は、演出を現場の最前線で行っているということ。超内製と言っていいレベルで出演者に肉薄していきます。面白いことが何か知り尽くしている人が、オケの最前線で指揮棒を振っている訳です。私は、これが出色のコンテンツを生み出している要因ではないかと推察します。

 

前述の記事内でもコメントしていますが、関テレのキーマンは、コンテンツビジネス局長の岡田美穂さんという方の様です。

 

是非この岡田さんの仕事ぶりを『セブンルール』で密着してほしいです。

間違いなく関テレコンテンツの面白さの秘密に迫れると思います。

と思ったら、『セブンルール』も関テレなんですね~。

【エッセイ】インプット=華やかで楽しい、アウトプット=地味でつまらないというどうしようもない事実

ふとPCで作業をしていて気づいてしまいました。

 

インプットは華やかで楽しく、アウトプットは地味でつまらない

ということを。

 

なぜそうおもったか?

 

パソコンでエクセルを広げて、アイディア出しをしていた際、

少しいきづまると、画面を切り換えて、ネットの記事を読んだり、

インプットの方に走ってしまう自分に気づいたのです。

 

なぜなのか?

 

きっと、インプットの方が、楽で、楽しいからです。

 

インプットという行為には、読書、映画、音楽、TV、動画、ネットニュースなど

楽しいものが満載です。

 

一方でアウトプットですが、これはよく考えると非常に無味乾燥な行為ですよね。

作家さんなら文書ソフトに。音楽家なら楽器やパソコンのソフトに。

画家なら白いキャンバスに。

 

とにかく”何もないこと”に向き合わないと行けません。

何もないところから出発しないといけません。

 

で、この何もないことに向き合うという作業、行為それ自体が

とてつもなくつまらないわけです。苦痛を伴うわけです。

 

しかし、この言い方は半分正解で半分間違っています。

 

というのも、真っ白いキャンバスに向かって何も出てこないのはつらいですが、

頭を働かせ、手を動かすことで、アイディアがひらめいたり、筆が進んだりすると、

なんともいえない高揚感を味わえることもあるからです。

この感覚は、素人の私でも感じることがあるほどです笑

 

そして、成功する人(質の高いアウトプットを続ける人)の多くは、このつまらないアウトプットの作業をルーティン化しています。つまり、つまらないことから逃げない仕組みを

作っています。

 

自分が続けられることをアウトプットの手段にしていると言い換えてもいいかもしれません。

 

イチローの素振りしかり、村上春樹森博嗣の執筆スタイルしかり、

決めたことを淡々とやり切り続ける人は、大きな成果を出しやすいと感じます。

 

けれど、多くの人がアウトプットの入口で挫折してしまいます。

なぜなら、アウトプットの入口周辺はどうしようもなくつまらないからです。

 

じゃあどうすればアウトプットの入口を面白くできるのか?

 

今のところ、私もその方法についてはアイディアがありません。

誰にとってもしんどいのがアウトプット行為なんだと思います。

 

だからこそ、入口で躓かないためにも最低限自分が好きでやれることで、

人よりうまくやれることを生業にしたほうがいいのだと思います。

 

上手くやれることを見つけるコツとしては、私の経験上は、

自分で決めるより、身近な人にアドバイスを求めるほうが良いということです。

【エッセイ】推敲について

昔から推敲が苦手でした。

 

書き上げた文章を見直すという作業が面倒で仕方ない。

 

ただ、そんな感じでした。

 

でも、最近は、一気に文章を書き上げたとしても、

一晩カレーのように寝かせて、丹念に味を確認して、

微調整した上で、ブログにアップするようにしています。

 

推敲が面倒だったとすれば、昔は、傲慢だったんだと思います。

書いたものを見直さなくても、それなりのものに仕上がっているだろうと。

そんな慢心がありました。

 

どこから生まれた自信なのか、皆目分かりませんが、

見直して書き直すということをしませんでした。

 

今回は、素人ながら感じる推敲の重要性について

書いてみたいと思います。

 

推敲をしてみて気づいたメリットは以下の3つです。

 

①一晩寝かせてからもう一度見直すと自分の書いた文章の荒さに気がつける。

②「てにおは」のおかしさや論理の矛盾に気づくことができる。

③自分が書いた文章を眺めながら、改善を図ろうと思考する事自体が

一番の文章修行になる(はず)。

 

ここまで書いていて少し恥ずかしくなったのですが、

もしかしたら出版社にお勤めの人やプロの作家からすれば、新人にも教えないくらい

当たり前のことなのかもしれませんね。

 

3つのメリットなんて偉そうに語ってますが、

たぶん推敲って文章を書く人が行うべき最低限の礼儀、マナーに近いものなんですよね本当は。

 

でも我々は小さい頃から文章を書く機会は、たくさん与えられていましたが、

推敲に推敲を重ねるような努力はしてこなかったのだと思います。

 

要因は以下のようなことでしょうか。

 

・学校では先生にも生徒にもそこまで文章にかける時間はなかった

 

・物心ついてネットでブログを始めても、誰かに手直しをしてもらったりは少ないはず。

ましてや自身で推敲するなんて。

 

・具体的な推敲のやり方を教わっていない。

 

そういう意味では、推敲の重要性に気づくことが難しい環境下に

置かれていたとも言えるでしょう。

 

実はこの推敲ですが、プロの作家達が一番力を入れて、一番時間をかけてやっている

はずです。

 

なぜか。

 

それは、出版社の編集者のOKがでなければ、出版にこぎつけることはできないからです。

 

編集者の皆さんは、それはそれはたくさんの本に目を通してきた

プロフェッショナル。

 

つまり、推敲作業は、プロフェッショナルの人たちの方が、

一生懸命やっていることになります。

 

推敲は文章にとって肝なのに、プロしか力を入れてやっていない可能性がある。

 

そんなことはあっていいはずはありません笑

 

プロ野球選手で例えると、素振りやフォームの確認をプロの方がちゃんとやっている

ということです。

 

現代はSNSや動画サービス全盛時代だと思いますが、

それでも、書ける力の価値は今後も揺らがないと思います。

 

そういう意味では、文章の素人こそ、徹底的に推敲して、

自身の文章を練り上げていく必要があるのではないでしょうか?

【エッセイ】推敲について

昔から推敲が苦手でした。

 

書き上げた文章を見直すという作業が面倒で仕方ない。

 

ただ、そんな感じでした。

 

でも、最近は、一気に文章を書き上げたとしても、

一晩カレーのように寝かせて、丹念に味を確認して、

微調整した上で、ブログにアップするようにしています。

 

推敲が面倒だったとすれば、昔は、傲慢だったんだと思います。

書いたものを見直さなくても、それなりのものに仕上がっているだろうと。

そんな慢心がありました。

 

どこから生まれた自信なのか、皆目分かりませんが、

見直して書き直すということをしませんでした。

 

今回は、素人ながら感じる推敲の重要性について

書いてみたいと思います。

 

推敲をしてみて気づいたメリットは以下の3つです。

 

①一晩寝かせてからもう一度見直すと自分の書いた文章の荒さに気がつける。

②「てにおは」のおかしさや論理の矛盾に気づくことができる。

③自分が書いた文章を眺めながら、改善を図ろうと思考する事自体が

一番の文章修行になる(はず)。

 

ここまで書いていて少し恥ずかしくなったのですが、

もしかしたら出版社にお勤めの人やプロの作家からすれば、新人にも教えないくらい

当たり前のことなのかもしれませんね。

 

3つのメリットなんて偉そうに語ってますが、

たぶん推敲って文章を書く人が行うべき最低限の礼儀、マナーに近いものなんですよね本当は。

 

でも我々は小さい頃から文章を書く機会は、たくさん与えられていましたが、

推敲に推敲を重ねるような努力はしてこなかったのだと思います。

 

要因は以下のようなことでしょうか。

 

・学校では先生にも生徒にもそこまで文章にかける時間はなかった

 

・物心ついてネットでブログを始めても、誰かに手直しをしてもらったりは少ないはず。

ましてや自身で推敲するなんて。

 

・具体的な推敲のやり方を教わっていない。

 

そういう意味では、推敲の重要性に気づくことが難しい環境下に

置かれていたとも言えるでしょう。

 

実はこの推敲ですが、プロの作家達が一番力を入れて、一番時間をかけてやっている

はずです。

 

なぜか。

 

それは、出版社の編集者のOKがでなければ、出版にこぎつけることはできないからです。

 

編集者の皆さんは、それはそれはたくさんの本に目を通してきた

プロフェッショナル。

 

つまり、推敲作業は、プロフェッショナルの人たちの方が、

一生懸命やっていることになります。

 

推敲は文章にとって肝なのに、プロしか力を入れてやっていない可能性がある。

 

そんなことはあっていいはずはありません笑

 

プロ野球選手で例えると、素振りやフォームの確認をプロの方がちゃんとやっている

ということです。

 

現代はSNSや動画サービス全盛時代だと思いますが、

それでも、書ける力の価値は今後も揺らがないと思います。

 

そういう意味では、文章の素人こそ、徹底的に推敲して、

自身の文章を練り上げていく必要があるのではないでしょうか?

【エッセイ】過去を簡単に忘れ去る者こそが担える役割とは?

先日、フジテレビ系列のドキュメンタリー番組

『セブンルール』に、漫画家の鳥飼茜さんが出演しておりました。

 

名前に見覚えがあったので、注目してみたら、

過去に漫画を買ったことのある方でした。

 

ご存知の方も多いと思いますが、

セブンルールについて、改めて説明しておきます。

 

主人公は、「女性」でその仕事ぶりに密着するドキュメンタリー番組です。

MCは、YOU、青木崇高尾崎世界観、長濱ねるの5名です。※敬称略

 

セブンルールの意味というのは、その女性が仕事や人生にまつわるルールを

7つ紹介していくという内容です。

 

今回、鳥飼茜さんの回を見ていて、非常に大きな気づきがあったので、

書いてみたいと思います。

 

それは次のルールを見て、気がついたことです。

 

「過去の自分を総動員して漫画を描く」

 

鳥飼さんは、過去の自身に起こった出来事をすべて漫画の中で

活かそう、反映しようとします。現在連載中の「サターンリターン」は過去に自殺した友人から生まれた物語だそうです。

 

ある意味、自分の人生を全て作品に昇華しようとして生きている

ということですよね。

 

壮絶な生き方だなと胸がアツくなりました。

 

一方、私はといえば、ちょっと嫌なことがあっても、少し寝るだけで忘れてしまう。

かなりイヤな事でも、1,2日で忘却のかなた。

昔のことは正直あんまり覚えていません。

 

自分の人生を作品に昇華するだけのパワーもセンスもありません。

あるのは、過去を背負い投げして捨ててきた過去だけ。

 

でも逆に鳥飼さんのおかげで気づいたんです。

 

全てを忘れて前向きに生きていくのも1つのパワーなんだろうと。

 

幸い、昔から周囲には恵まれ、オタクからヤンキーまで幅広く交友関係が

あったのが、私の強みでもあります。

 

人のマイナス面よりもプラス面を見ようとする側面が強いことも特徴として持っています。

 

何を言いたいのか?というと、

 

我々のような能天気な凡人にできる仕事は、天才を賞賛したり、これから羽ばたこうとする危うい才能の背中を押すことではないかと気づいたんです。

 

昔から本を書いたり、批評したりすることには興味ないけど、

面白本を薦める書評には強い関心がありました。

 

好きな本を他人にゴリ押しできるデリカシーのなさこそ、

私が持つ最大の強みではないかと気づいたわけです。

 

自分語りに終始してしまいましたが、

自分を客観視するための1つの手段として、何かのヒントになればいいなと思い、

文章化してみました。

 

人に興味を持ち作品に触れたり、その考え方に触れることが、

自分がどんな人間なのかを知るいいきっかけになりますね。

【書評】『職業としての小説家』村上春樹 スイッチパブリッシング

村上春樹の作り方』と言い換えてもいいくらい、

小説家という職業について、赤裸々に語られている本です。

 

私自身は、小説家になりたいと思ったことはなかったですが、

そんな私でも「小説を書いてみようかな」と思ってしまう非常に力のある人を刺激する一冊です。

 

「力がある」という点をさらに具体化すると

 

執筆のスタイルや創作の仕方などが、ほぼ包み隠さずに書かれています。

ラソンランナーで例えると、一日のメニュー、スケジュール、フォームの作り方、

シューズの選び方、ライバルや同業者に対する気の持ちよう、等々。

赤裸々に語られています。

 

この本を通読すると、小説の作り方が網羅的に理解できてしまうのではないか?

とド素人ながら思ってしまうほどです。

 

しかし、村上氏がここまで包み隠さず語ってしまったのは、

35年間小説家として生き抜いてきた実績があるからなのかもしれません。

 

たとえば、35年連続でフルマラソンに出場した選手であれば、

そのコツや振り返って思うところなどあますところなく教えてくれそうです。

 

つまり、誰にでもマネできるけど、ほとんどの人が真似できない・真似しない領域まで到達、壁を超えてきた経験があるからこそ、寛容さが醸成され本書が執筆されたのではないか。私はそんな風に思うのです。

 

この本が人に勇気を与える本になっている根拠は、繰り返しになりますが、

村上氏がとってきた小説家としての行動が、誰もが努力次第でマネできるものだからです。

 

・若い頃に大量に読書

・早寝早起き

・一日に書く量を決めてしまう

・毎日ランニングをし、フィジカルの強さを担保

・その仕事しかやらない環境を作ってしまう

・マイナス評価を無視する=気に留めない

 

さながらアスリートといっていいような生活習慣です。

 

もちろん根底に勤勉さが無い人には真似できない事ですが、

凡人であっても、努力次第でなんとかなると思いませんか?

 

この中で一番不可抗力となりやすい取り返しのつかない項目は、

若い頃に大量の読書をしているという点だと思います。

 

これは実はなかなか真似ができない。大量の読書経験は小説家の必要条件だと思いますので、これが無い方はきっぱり諦めてしまうのも1つの手です。

 

家庭環境や自ら読書に向かうきっかけがなければ、

20代に突入するまでの異常な読書経験というのはなかなか培われない気がするのです。

 

20代30代になってからの読書も当然血となり肉となると思いますが、

10代の頃のみずみずしい感性に与える影響ほど、強烈では無い気がしています。

 

これまで多くのインタビュアーが創作の秘密に迫る際、どんなものを読んできましたか?とバックボーンなどのクリエイターの中身に迫ってきたことは疑いようのない事実だったと思います。

 

しかし、本書では、ソフト面よりもハード面がクローズアップして

語られています。

 

料理で例えると、彼が読んできたレシピではなく、フライパンの使い方や、火加減等、

まさに仕事を覚えたい人が真似すべきプロの仕事ぶりが語られています。

 

なので、強い言い方になりますが、本書を読んで、何も参考にならないと

いう結論を下す人は、正直どんな分野のプロにもなれない可能性が高いと思います。

 

なぜか?

 

せっかく料理本を読んだのに、料理の作り方が全然分からなかったというタイプの人だからです。

 

でも、そのことに自覚的な場合、「どんな分野のプロにもなれないんだ」と

自ら気づいたとしたら、そういう謙虚な人なら有益な自己分析につながるはずです。

 

本書は、情熱大陸やプロフェッショナルよりも、

3分クッキングやがっちりマンデーに近いコンテンツだと思います。

 

明日から使えるノウハウになりえます。

 

やっていて自然と継続できる習慣こそ、

その人の仕事を作り出す。

 

自らやるべき仕事は何なのか?

自問自答している人にとって救いの書になる可能性は正直高いと思います。

 

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