車の運転をしていて、イライラすることは頻繁にあるが、私が一番イライラするのは、車線変更や右左折時のウインカーのタイミングが遅い人並びに、そもそも出さない人だ。
狂気じみたことを言うかもしれないが、本当は、見つけ次第、捕まえて、ボコボコにして再起不能にしたいくらい、腹が立っている。
奥さんにこの話をすると、そんなに怒る話じゃないと言われるが、私にとっては、大きな問題なので、今日は、なぜウインカーを出さない人に腹が立つのか、腰を据えて考えてみたい。腹は立つのに、腰は据えるのかと。
それはいいとして。
そもそもウインカーとは何のためにあるのか?
それは後続車に自分の意志を伝えるためである。
「右に曲がりますよー」とか「そっちの車線に入れてください」とか。
つまり、ウインカーを出さないということは、その意志表示を放棄またはないがしろにしているということになる。
ウインカーを出されない側の身になって考えても見てほしい。
赤の他人にないがしろにされる気持ちが分かるだろうか。
気持ちいいはずがない。
特に私のような心がオラオラしているの人間は、即座にこう判断する。
「あっ!舐められた」と。
これがいけない。。人間舐められたと感じた時は、思いのほか腹が立ってしまうものである。
でも、運転していると分かるのだが、世の中ウインカーを出さない人間は、思いのほか多い。
私なんかは、心はオラオラしていても、人への気遣いエンジンは常時フル回転なので、
ウインカーを出さないという行為はちょっと考えられない。。
先日、スーパーマーケットに立ち寄った時に、車に積んでいたペットボトルを捨てることにした。うちは2Lの水をペットボトルで購入しているのだが、干してつぶした状態で回収BOXに入れるようにしている。
そのスーパーでも、緑色のコンテナに張り紙がしてあって「つぶしてからお入れください」と注意書きがしてあった。
ふたを開けてみると、そのスーパー、ほとんどのペットボトルが”つぶされないまま”、
中に入れられていた。ひどいのになるとラベルもついたままであった。開いた口が塞がらないとはこのことだった。
この時の出来事は、私の脳裏に焼付き、強烈な印象を与えることになった。
世の中には、書いてあることさえまともに実行できない人がわんさかいるのだ。
ペットボトルをつぶして捨てるくらいは、正直子どもでもできるし、もっといえば、サルやチンパンジーやゴリラだってできるかもしれない。
踏んでみると意外と気持ちのいいものだし、もしかすると人間よりも嬉々としてやるかもしれない。サルだけに。
そう考えたら、運転中にウインカーを使いこなせない人間がいることも容易に想像できる。
仮に、そんな人間を再起不能にしたところで、こちらにはメリットはないであろう。
ゴキブリを1匹殺したところで、世の中はなにも変わらない。ウインカーを出さない人間をとっちめたところで、正直世の中は何も変わらない。
そう考えると、世直しの大変さに途方に暮れるというよりも、とても気が楽になった。
こないだ、全然ウインカーを出さず、無理な車線変更をする自動車がいたので、
信号待ちで隣りにつけて顔を見てみた。
石像とほぼ同レベルで微動だにしないおばあさんが両手でハンドルに手を添えていた。
そういう時代に生きている。