温故知新という言葉がある。
古くからある故事にちなんだ四字熟語だ。
意味の説明はあまり必要ないと思うが、
古いことから新しいアイディアを得るというような意味である。
その別のケースについて、今回は考えてみたい。
「新しきを知り、新しきを知る。」
今年井山七段が再び七冠に返り咲いた。
この間、その秘密を探るべくNHKで特集が組まれていた。
そこでは、もっと強くなろうともがく、名人の姿が描かれていた。
井山さんはAIとの対極なども積極的に取り入れている意欲的な人だが、
一番印象に残ったのは、若い世代との囲碁の勉強会に参加していることである。
当然格下の人たちばかりなわけでは、「そういう打ち方もあるのか」という発見があるために、続けているという。
それを見て謙虚だなあと感心する一方で、恐ろしい人だなと同時に感じ入った。強くなるためならある意味手段を選ばない人である。
もう一人「新しきを知り、新しきを知る。」人がいる。マリオの生みの親、宮本茂である。
彼は稀代のヒットメーカーといえる存在だが、プライベートでは、地元の町内会の行事などにも積極的に参加する、気のいいおじさんらしい。
子供たち=お客さんとじかに接することで新たなアイディアを得たりすることも多いだろうからである。
コミュニケーションを直接とれば、何を喜び、何に笑うのか、感じ取ることできる。
今保育の仕事をしているが、この間散歩中にユニークな保育士と園児のやりとりがあった。
保育士、畑から伸びる葉っぱを見て「あれなんだろう。みかんではないけど、みかんの”仲間”かしらね」
園児「ん?みかんの”知りあい”?」
仲間というフレーズを聞いて、知り合いという言葉に言い換えたのだと思うが、「みかんの仲間」という完成品に対して「知り合い」という言葉を持ってくるのは、一見簡単なように思えるが、普通の大人には到底真似のできないことだ。
後輩をわが師と仰げる人は幸福なのだろう。園児はものすごい後輩だが。