高配当株にコツコツ長期投資

書評中心に記事を書いてきましたが、装いも新たに、高配当株投資をテーマに様々なことを書き散らしていきたいと思います。

書評『人生は、だましだまし』田辺聖子 2005年 

読売新聞の広告で「この国は、本を読まない大人が増えた。だから子供みたいな国になってしまった」という内容を語ったのは、田辺聖子である。

 

本書は、エッセイ仕立てだが、飲み仲間の「フィフティちゃん」と「イチブン氏」との会話を通じ、人間の生態、特に男女のあれこれを通じて、著者がアフォリズムを導き出す示唆に富んだ1冊である。

 

私は田辺聖子をあまり読んだことがないため感じるのかもしれないが、

とにもかくにも、難しい熟語が夥しい数登場する。

 

辞書を引かずにこの本を読み通せる人は、相当博識な人だと思う。

 

先日作詞家の松本隆が出演したテレビ番組でこんなことを言っていた。

 

「作詞家を志す若い人がやっておくべきことは何かありますか」

 

「本を読んで語彙を増やすことです」と発言。

 

言葉を知らないと表現などできないという。

至極当たり前のことだが、意外と見過ごされがちな事実ではないだろうか。

 

絵の具の種類が多いほうが、より色彩豊かな絵画を創造することができるのと同じで、

ボキャブラリーが多いほうが、人生の機微に気づき豊かな表現が可能になるだろう。

 

細かなこぼれ話ではあるが、辞書を引く楽しみも紹介されている。

目的の言葉だけではなく、周辺の言葉の意味も知ることもできると。

 

言語化できることは、物事を相対化して認識できるということ。

つまり、様々なことを客観視できるということだといえる。

 

とかく窮屈で他人に不寛容になってしまうことも多い世の中。

大先輩の言うことにじっくりと耳を傾けながら、語彙を増やしていくと一味違う人生が待っているかもしれない。

書評『舶来屋一代 ~はんどばっぐにほれたおとこ~』上前淳一郎 1983年

高級ブランドの商品が並んでいる場所といえば、

ぱっと思い浮かぶのは、丸の内と銀座である。

 

なぜあの場所にブランド店が集中するようになったのか?

その背景には、ヨーロッパの一流品にほれ込んだ一人の男の奮闘があった。

 

主人公の茂登山長一郎、通称長さんは、戦後の動乱期に闇市の商人としてスタート。

やがて、エルメスやグッチ等ヨーロッパの超高級ブランドを日本に持ち込む時代の寵児

と躍り出る。本書は、太平洋戦争から帰還した男が闇市での仕事を皮切りにブランドを日本に持ち込む第一人者となるまでを描いたノンフィクションだ。

 

絶版のため中古でなんと8000円ほどするが、正直お釣りが来るほどの価値はある。

 

経営者、男は「かくあるべき」ということが学べるサクセスストーリーには違いないが、

本書が出色であるのは、ここに描かれる長さんの「引き際」の見事さである。

 

長さんは、美味しい儲け話なども、嫌な予感がした段階で素早く手を引く。

また、あぶく銭が手に入っても、また稼げばいいと困った人にあげてしまう。

 

起きた事象から教訓を得る抜け目のなさにくわえ冷静な判断を忘れない。

しかし、根っこは厚すぎるくらいの情で人に可愛がられる男だ。

 

このバランス感覚と親しみやすさは、実は女性に奥手だったことも関係しているのではないかと私は読みといた。政治家でも女性スキャンダルがない人は失脚しないケースが多い。

 

そんな長さんの元に足を運ぶ顧客には電通の吉田秀雄や作家の今東光

がいた。この人たちとの掛け合いがまた素敵で物語に引き込まれる要因の一つとなっている。思わず人に話したくなるこぼれ話が満載なのだ。

 

たとえば、ライカのカメラと四谷の80坪の土地の値段が同じだった時代の話、電通富士登山をする本当の狙い、一流ブランドは王宮の近くにあること、などなど。興味深いエピソードが数多く紹介される。

 

時を越えて生き残っていくものとは何なのか。

一流品を追い求めた男の生き様から学ぶことができる。

 

書評『最近捕鯨白書』土井全二郎 1992年

日本で400年の歴史を誇る捕鯨に対する国際的な立場の違いを、主にIWC(国際捕鯨委員会)の動きに沿って1978年~1992年までの約15年ほどの歴史を追っている本書。

 

捕鯨への理解を深められる一方で、根拠なき多数決の有害性を思い知らされるかもしれない。とりわけ米国への不信感は少し高まってしまうかもしれない。

 

捕鯨国の代表格は、日本をはじめ、ノルウェーアイスランド

一方、反捕鯨の旗印を上げ続けているのは、アメリカ、イギリス。

 

捕鯨は、魚食国と肉食国の対立とも言える図式であるが、私にとっては、多数決という民主主義の代表格である制度に疑念をもつきっかけとなった。

 

アメリカは1776年誕生の歴史的には若い国。アメリカが生まれる前から続いている日本の文化に対してとやかくいわれることはけしからんと感じるのも否めないが、ぐっとこらえることにしたい。現実には、世界をリードする強国でもある。

 

アメリカが強硬に反捕鯨の立場を取る背景として、与党議員の立場を磐石にするねらいがあるとされる。アメリカでは会員数が多い団体は、そのまま政治利用されるケースが多い。つまり、選挙の際の「票」になる。

 

捕鯨を盾に国内世論を煽り、票を獲得する。多数決を有利に進めるために必要なほうの立場を取り、「動物愛護」という都合の良いスローガンを掲げ保身に努める。

 

さらに驚いたのは、アメリカの場合、国内法が国際法に優先するという論理である。

自国第一主義を裏付ける根拠となっている。

 

たとえば卑近な例だが、子育てにたとえると「うちは、ベジタリアンなので、おたくでも肉は食べさせないでください。」こんな無茶苦茶な理論がまかり通ってしまうということである。アメリカという国のジャイアン性を感じる所以だ。

 

ただ、貿易摩擦が起こった際、中曽根政権が米国との関係悪化を懸念して捕鯨を断念したように国の行く末を左右する力を持った国であることには相違ない。

 

自己中心的な姿勢を優先し、多数決を是とすると、おのずと一見正しく見える論理をふりかざし、相手を打ち負かそうとするスタイルにつながりやすい。

 

無能な多数決に伍していくためには、どうすればいいのか。

敵側に理解者を作るべく、冷静に知的に行動していくしかないのかもしれない。

 

本書に一部紹介される日本人を蔑視する欧米の新聞記事などを見ると感情的になりたくもなるが、あくまで冷静に科学的根拠を伴って他国と向き合う方が長い目で見て得である。ということも学ぶことができる。

書評『大奥の奥』鈴木由紀子 2006年

教科書に載らない人たちが歴史を動かしている。

本書を読んで得た素直な感想だ。

 

いつの時代もフィクサーと呼ばれる人たちがいる。

歴史の表舞台には立たず裏で糸を引く人たち。とかく悪者が多いイメージだが、

大奥の歴史上も表舞台の主役を圧倒するような女傑が多数存在した。

 

男子禁制の秘められた世界、大奥。

誰もがなんとも言えない魅力を感じているであろう。

 

実際にテレビドラマなどでも放映されると、人気を博すことが多いという。

本書は、その多くの歴史を関連人物を挙げながら丁寧に紹介していく力作である。

 

権力闘争の背景には、人を狂わしたスキャンダルや事件、ルールの設立がある。

本書の一番の魅力はこのあたりのエピソードにあるかもしれない。

 

たとえば将軍のセックスは、あるときから公然と監視されるようになった。

少し理解に苦しむと思う。

 

本文を引用してみたい。

 

「いよいよお気に入りの側室との御寝となる。ここで、現代のわれわれの感覚からすれば信じがたい光景が展開する。六代将軍家宣以後のことと思われるが、(中略)将軍と側室が同衾している寝所に、御添寝役の御中﨟と御伽坊主の二人が、将軍の寝床から少し離れて両側に床をとり、将軍に背を向けて寝ずの番をする。」

 

これは、事の一部始終を御年寄に報告するためだそうだ。閨での側室の言動を警戒することが目的だったそうだ。

 

また、女人禁制の大奥であったが、様々な人が出入りし手におえなくなったこともあった。風紀が乱れ始めると、信じられない検査が始まる。

「下々のものはからだが汚れている」という理由で、大奥に出入りするものは風呂に入れて

性別を確認させられるということもあったという。現代の高校の頭髪検査などまだまだ可愛いものだと思ってしまう。

 

極めつけは、敵対する側室が生んだ子供に対する残酷な仕打ちである。

胸を痛める話も出てくるが、権力の維持のためなら、人はどんなことでも仕出かす

という真実を本書を通じて理解することができる。

 

とにかく登場人物が多く関係性がややこしくなりやすい。

 

ノートに家計図を描きながら読むと、歴史の背景や人間関係を俯瞰することができるので、より楽しみが増すと思う。

書評『京都 舞妓と芸妓の奥座敷』相原恭子 2001年

サーフィンをしないサーファーを「陸サーファー」と呼ぶが、

お茶屋に足を運ばない「花街オタク」も文化としてはなかなか面白い。

 

花街は奥深い魅力を持ち、人に話したくなるエピソード性を持っている。

 

たとえば、モルガンお雪という女性がいる。ブルゾンちえみではない。

モルガンお雪である。

 

歴史上に存在した一人の芸妓だ。なぜ芸名のような名になったのか。

 

J・Pモルガンの甥にあたる、ジョージ・デニソン・モルガンが身請けをしたからである。

同時期、千本座を創設し日本映画の父と呼ばれた牧野省三もお雪と恋仲にあったという。

ある日、身請けされるかもとの相談を持ちかけられた省三が「それは面白い。4万でも5万でもふっかけろ」と回答したところ、後日現実のものとなって新聞紙面をにぎわせることになってしまったという。

 

省三はといえば、その失恋の経験を『モルガンお雪』という題名で舞台で上演し大ヒット。

 

ちなみに、お雪は結婚するも、のちに米国籍を剥奪されフランスに移住。

死後に京都の姉妹都市であるフランスからユキサンと名づけられた白いバラを送られているという。

 

ちょっと人に話したくなるエピソードではないだろうか。

花街はこういう面白い話がたくさんある。

 

そういう意味で本書は、京都の舞妓、芸妓の基礎を学ぶ上で最適な入門書といえる。

 

理由は二つある。

 

一つ目はその辞書性だ。

 

花街文化に関連する言葉を丁寧に説明しているので、

専門用語を網羅的に理解することができる。

 

二つ目は、随所に盛り込まれた写真である。

ひょんなことから花街にはまったという著者であるが、写真を見ると深いところまで、

入り込んでいたのだなというのが分かる。

 

花街はあまりに深い世界ゆえ、関連書籍も夥しい数が出版されている。

正直、何から読み始めればいいか分からないという読者も多いと思う。

 

その意味で、何も知らないが興味はあるという人にとっては、とっつきやすい1冊であると思う。

 

書評『エルメス』戸矢理衣奈 2004年

平均年収400万円の旅館がある。サービス業界にあっては、特異な存在といえるだろう。

神奈川は鶴巻温泉に陣屋という旅館がある。旅館としては珍しく、定休日が週に2日ある旅館だ。客単価は4万5千円となっており、高い生産性を誇る事例として先日、日経新聞に紹介された。

 

エルメスは、誰もが知る高級ブランドだが、非常に高価なことでも知られている。

100万円近くするバッグも珍しくない。

 

両者に共通するのは、ターゲット戦略の巧みさである。

陣屋は、休日を増やしながらも、非日常に対価を支払うシニア層にターゲットを絞り企画を充実させることで業績を回復させた。

 

エルメスの凄いところは、その誕生から今まで、そしてこれからも巧みなターゲット戦略を取り続けているところにある。

 

あるときは、「ケリー」でお姫様願望を持つ主婦層をくすぐり、あるときは、「バーキン」で働く女性たちを刺激してきた。エルメスエルメスたらしめているのは、とにかく高い品質であるとのことだが、その女性を虜にするネーミングセンスも突出している。

 

また本書を読むと、エルメスがいかに京都をはじめとした日本の伝統文化に影響を受けているかが、分かる。スティーブジョブスが禅を愛し、極限まで無駄を省いたデザインで人気を博すiPhoneを生み出したように、エルメスも日本の伝統文化をデザインとして洗練させ商品化することに成功している。

 

日本人はもっと足元の魅力に気づきそれを活かしていかないと、逆輸入された舶来品に

右往左往しつづけることになるのかもしれない。

 

エルメスという圧倒的なブランドへの理解を深めることは、様々な分野のビジネスにおいてもヒントになるが、そもそも自分の国の魅力に気づくことから始めないといけないのかもしれない。

 

余談だが、エルメスルイ・ヴィトンの違いは、どこか京都と東京の魅力の違いを思わせるところがある。実際に、LVMHトップのアルノーさんは、東京の10代女性のファッションを見学に日本を訪れたりするらしい。

 

一方で、一見さんお断りだが、ひとたび入り込むと抜け出せなくなる。

エルメスと京都の魅力は似ているのかもしれない。

 

書評『京の花街「輪違屋」物語』高橋利樹

清水寺を作ったのは誰だがご存知だろうか。

坂上田村麻呂という人らしい。初代の征夷大将軍平安時代に北方征伐に抜擢された

最強の武将だそうだ。

 

歴史にはつい人に話したくなる要素が満載である。

優れた文化についても歴史的背景を伴ったものが多いのは自明の理である。

 

日本文化には、長らく愛されてきたものが多数あるが、最近花街に関する書籍にハマっている。理由は、元マイクロソフト社長の成毛眞さんの影響によるところが大きい。

 

成毛眞といえば、知る人ぞ知る読書家だが、彼の趣味がお座敷遊びであることは、

意外と有名な事実である。

 

私はといえば、お座敷遊びをするような余裕はないので、書籍で楽しむことが関の山

だ。東京に関するものと京都に関するものを読み比べているのだが、

本書は京都の中でも島原にただ一つだけ現存する輪違屋の主人による著作である。

 

元々京都の花街は六大花街と呼ばれていた。

上七軒祇園甲部祇園東、先斗町、宮川町、島原の六つである。

 

それが、少し遠方にあったこともあり廃れた島原が外れ、現在の五大花街と呼ばれるようになった。

 

花街に関する情報が満載なので、詳細は本書を読んでいただきたいが、

本書は文化とは何かを考えるいいテキストとなる。

 

文化の魅力には「人に話したくなる」要素を含んでいることだと思う。

 

たとえば、上七軒は団子を横に串刺した紋章を使っているのだが、それは秀吉が上七軒の茶屋に立ち寄った際に食べた団子が旨かったことで商いの特権を許したことに由来しているという。

 

人に話したくなる要素満載の文化には多くの場合、歴史的背景があるというのは

冒頭に述べたとおりである。

 

誰でも知っていることを話しても、煙たがられてしまうことが多い。その手の情報はgoogle先生がすべて教えてくれるからだ。

 

誰も知らない知識をいかに仕入れていくか。

どんな仕事においても独自性が問われるこれからの世の中において、

ちょっぴりアクセスしにくく魅力的な情報を探りあてるセンスと行動力がもっと問われていくことは間違いないだろう。