高配当株にコツコツ長期投資

書評中心に記事を書いてきましたが、装いも新たに、高配当株投資をテーマに様々なことを書き散らしていきたいと思います。

いい男の選び方

ananの表紙に出てきそうなタイトルである。

 

今回のテーマは、男の選び方である。私自身女性から選ばれるような男では到底ないが、すべてを棚に挙げ、ここに声高々と語らんとする次第である。

 

最近フローレンスの駒崎さんの「選挙に行かない男とは付き合ってはいけない」という趣旨の文章を読んだ。もしかしたらすでに目を通している人も多いかもしれない。

 

内容を読んでそのとおりだと思ったが、もう一歩踏み込んで

どうしたらいい男を選べるのかということも重要である。

 

昔であれば、「3高」などど言っただろう。高学歴、高身長、高収入。

最近は「3NO」などという言葉も登場しているらしい。暴力をしない、浮気しない、借金をしない。

 

いわゆる昔の男の「賞味期限」はとうに過ぎているということになるのだろう。確かに、暴力をふるい、借金をして、浮気する、こういう破天荒なタイプの男にとって現代は非常に生きにくいだろうし、稼ぎにくい世の中になっている気がする。俳優やタレントでもそういう男が支持されている様子はないし、3枚目に完全にお株を奪われているようである。

 

むしろ、普通であることに静かな自信さえ持ち、淡々としている男性のほうが色気もあるし、信用もできる気がする。肌感覚ではあるが、実は無名の素人男性のほうが、恋愛マーケットにおいても活躍しているのではないかと睨んでいる。

 

少し話が横道にそれたが、いい男の選び方である。

私は最近、『お座敷遊び』という新書を読んだ。浅原須美という方が書いた、花街、つまり芸者の世界への指南書である。

 

日本の良き文化を学ぶ上で非常に参考になる書籍なので興味のある方は、

是非手にとってほしいが、その中に男の中の男を示す一言が収録されていたので、紹介したい。

 

「何十年と待合に通い続けた馴染み客でも、ご祝儀を渡すタイミングは、なかなか会得できないという。たとえ中身が二千円でも三千円でも、”惚れ惚れするような、憎いほど間のいい”タイミングで渡すと「気の利いたお客様だ」と褒められ・・・」

 

この文から読み取れることは、支払いのタイミングが絶妙な男はまず間違いがないということである。

 

なぜ支払いのタイミングがいい男が良いのか。ひとえに「気を使える」男であることに他ならない。場を読めると言い換えても良いと思う。

 

飲食の場で気を使えるためには、機転とそれ相応の場数が必要である。

場数を踏むには、収入と社会性、意欲が必要である。



実例を思い浮かべるとわかりやすいが、手際よく支払いを済ませる男は、たいていいい男のはずだ。その分女性が触手を伸ばすのも速い。

 

心配りがうまい男を見つけたら、うまく心配りをして自分に目がいくようにしないといけない。



参考文献

駒崎弘樹 http://blogos.com/article/52317/

浅原須美 『お座敷遊び』光文社新書 2003年







未熟税の導入について

ANAの取り組みがネットで話題になっている。

 

機内で赤ちゃんが泣かないようにするための耳栓などを企業と協力の上

開発して快適な環境を作っていこうという取り組みだ。

 

事態を打開していこうという取り組み事態は良いのだが、

これに対する世間の反応がはなはだ遺憾である。

 

「そもそも赤ん坊を乗せるな」

睡眠薬でも飲ませればいい」

「赤ちゃんは料金を倍にしろ」

 

どうだろうか。ネット上でのコメントなので当然言った人を特定はできないが、

おそらく飛行機に乗ったことのある大人の発言であることは間違いなさそうだ。

 

「心無い」という言葉があるが、その代表格のようなコメントである。

私はこのコメントを読んだときに、それこそ「日本死ね」と思ってしまった。

 

だがそれでは、このコメントを発しているものどもと同類になってしまうので、

対案を述べたいと思う。

 

まず、なぜ泣き声があると不快になるのか?

 

理由はいくつかあるだろう。

 

①単純にうるさい

②せっかくの飛行機での移動が台無しだ。

③うるさくて眠れない

④本に集中できない

 

こんな感じだろうか。

まだまだ、あげれば出てくるのかもしれない。

 

しかし、根本的な理由は、「高い金を払っているのに、なぜ快適に過ごすことができないのか?」という考えではないかとにらんでいる。

 

これが大変いただけないのだ。

上記のようなコメントを平気でできる輩は、ケツの穴の小さいやつと相場は決まっている。

 

ではなぜ上記のような物言いができるのか?

それは簡単で、根本的に身も心も貧乏だからである。

 

考えても見てほしい。たかだか、数時間の移動時間に起こるハプニングに耐えられないのだ。仮にやっと取れた休みで久しぶりにバカンスに出かけるとしてもだ。

果たしてそんな我慢のきかない連中を大人と呼べるだろうか?呼べるわけがない。

 

大体日本人は、飛行機と新幹線の移動時間に期待しすぎている。神格化しすぎである。

もう一度言うがたかだか移動時間である。本当のバカンスや楽しいことは、(仕事での移動の場合は苦しいこと)もその先の現地で待ち受けている。

 

どんな状態にあっても、何食わぬ顔でやり過ごすのが大人の嗜みではないだろうか。

飛行機や電車は不特定多数が共存するいわば公共の場である。

むしろ年齢の高い人ほど静かにしていなくてはならない。

声高に怒るなど愚の骨頂である。

 

ただ、こんな肩肘張って叫んでも何も変わらないので、

現政府には新たな税金を投入していただきたい。

 

その名も「未熟税」。

大人になりきれていない、アホな大人からさらにしこたま金をふんだくるのである。

具体的には、運転免許ならぬ、大人免許を発行していくしかないと思う。

ライセンスのないものには高い税金を。

 

試験は筆記と面接。

 

ますます、経済格差は広がる一方だが、ある意味いたし方ないと思う。

 

そろそろこの国には、大人のライセンスが必要である。

馬鹿馬鹿しいと笑われるかもしれないが、本当の話である。

自分でも気持ち悪いと思うが、未来を作れる人を優遇していくためにはしょうがないと思う。

 

20歳で成人などもはや昔の話だ。

30歳で子供みたいなやつもわんさかいる。

 

「大人」になっていく人を優遇するか、「大人」になりきれないものどもを弾圧するか。

 

これに関しては、2つに一つである。

 

私は、大人になりきれない未熟者をまずは窮地に立たせることを選択して

ほしいと願っているのである。

 

少し話が戻るが、そもそも赤ちゃんが泣いてくれないと「あやす楽しみ」もなくなるというものだ。機内で大の大人がよってたかって、赤ちゃんをあやしている。

私はいつだってそんな飛行機で移動をしたい。

国を変えるための方向性について

電通の過労死事件に判決が下された。求刑通りの50万円。

金額の多寡はともかくとして、モウレツ会社にまったがかけられた事例といえよう。

 

なぜ過労死が起こってしまうのか。

一つの理由は、日本人のまじめさからくるものといえるだろう。

 

バブル経済を経験し、先進国の仲間入りをした時点で、働き方を国を挙げて考え直すべきだったのかもしれない。

発展途上だったときの働き方を今でも続けているからこそ、様々なところにひずみが生まれるのだと思う。

 

スタートアップベンチャーが軌道に乗り、利益が出始めたのにも関わらず、

社長は寝ずに働き社員もモウレツに頑張ってしまう会社はどこか無理がある。

毎日が文化祭のような喧騒の中では人間は必ずや息切れしてしまう。

 

ではどうすれば多くの人が幸せに暮らしながら、国も発展していくことができるのか?

 

3つの方向性を提示したい。

 

まず一つ目。税金制度の追加である。現状企業の内部留保は約300兆円とも言われている。

まぎれもなく、一人ひとりが組織のために働いた結果であるといえよう。

ある意味、一番の成績表になるべき項目だが、その存在はあまり表に出てこない。

 

この内部留保にさらに課税するのである。通常の法人税に加えた二重課税となる。

では具体的にどうするのか?現代のテーマはとにもかくにも生産性向上である。

生産性が高い企業が良い企業とみなされる。

 

なので、過重労働を強いる企業については、追徴課税を命じ、内部留保を切り崩すのである。この財源の使い道は、子育て支援関連の予算に回せば良いと思う。

 

そして2つ目。自由市場経済の足を引っ張る施策にはなるが、一部上場企業の経営目標をさげさせるのである。これは多くの営業職従事者は理解してくれるのではないかと考えている。そもそもの目標が高すぎるゆえに、早く帰れなくなるのである。

ただ目標を達成しなくてもいいやと生産性が下がってしまうのも本意ではないので、企業ごとに目標管理の工夫・制度は不可欠となるだろう。

 

最後3つ目。都市圏集中を分散させ、「東京」の価値を実質低減させていく。

具体的にどうするのか。現在は、中小企業127万社が後継者不在の状況といわれる。東京に住む30代以降のビジネスマンから候補者を募り、地方の中小企業に送り込む。実際、私の周りでも企業で経験を積んだ人間が、郷里に戻る例が出始めている。

 

東京にすべてを集中させる時代に終止符を打たないといけない。











不届きな返答

私は何を隠そう不届きものである。

 

「世界不届きもの選手権」なる大会があったとしたら、優勝する自信も持ち合わせている。正直下衆野郎であることも否めない。こうしてあらかじめ自分で言っておくことで

人からあまり指摘されないようにしていることがあざとらしく、目に余る。

 

そんな私の趣味はといえば、スーパーのお客さまの声を読むことである。

スーパーの入り口などに掲示板をみかけるあれだ。30代前半の働き盛り一児の父があそこに立ち止まり真剣にまなざしを向ける様子は、正直滑稽以外の何物でもないが、趣味なのでいたし方ない。

 

私はその地元のスーパーを愛している。価格もお手ごろだし品揃えも悪くない。

感謝の言葉はあれど、クレームなどをつける気は毛頭ない。

 

しかしながら、世の中には心無い輩がうようよいるのだ。

いくつか紹介しよう。

 

声1:店内が寒いのでゆっくり買い物ができない。

 

店長:いつもご来店ありがとうございます。ご指摘ありがとうございます。

室内の環境管理には十分に注意してまいります。

 

私なら:厚着してお越しください。仮に温度を上げて、生鮮食品の鮮度が下がっても文句を言わないように。

 

くらいは平気でいいたくなる。

「ゆっくり買い物ができない。」この言葉にはらわたが煮えくり返る。

こういう他責なやつは絶対に部下に持ちたくない。言っているのはお年寄りだと思うが。

 

声2:多目的トイレが臭い

店長:いつもご来店ありがとうございます。定期的な清掃を怠りなく実施していきます。

お気づきの点がございましたら、またご指摘いただければ幸いです。

 

なんと大人な返しだろう。加えてそれ以上言うなというのをやんわり伝えているのも大変好感が持てる。

 

私なら:つべこべいうなら使わないで結構!



声3:トイレの乾燥機が壊れている。早く直してください!

店長:いつもご来店ありがとうございます。経費の都合上優先順位をつけて対応していきます。何卒ご理解のほどよろしくお願いいたします。

 

私なら:びっくりマークつけてまで言うことか!ハンドタオルを買いなさい。

 

世の中にはたいしたことないくせに、さも大事のように大騒ぎをする連中が後を絶たない。まったく困ったものである。

 

まあこんなことをわざわざ文章にしている私は、その急先鋒なのだが。











大人の嗜みについて

皆さんは「大人の嗜み」と聞いて何を思い浮かべるだろうか。

 

私は、「ボトルを入れる」を咄嗟に思いついた。

私自身、齢34歳になるがいまだかつてボトルを入れたことがない。

 

母親に問うてみると、昔は誰しもボトルを入れていたそうである。

やはり経験不足の新世代の経験値は低いのだろうか。それとも酒のあまり飲めない私が、取り残されているだけなのだろうか。事の真相はわからない。

 

だが、「大人の嗜み」というフレーズにはなんともいえない甘美な響きがある。

なんとなく「大人の嗜み」を増やしていけば、もっとモテるのではないかという下衆な妄想も浮かんでは消えていく。

 

玄関にあぐらをかいてゴルフクラブを布で磨くのも、なんとなく大人の嗜みといえる。

少しばかりオッサンのような苦さが残るのが玉に傷か。なんとなくスラックス&白いソックスが想起されるのも苦味に輪をかけている。

 

そもそもが「大人の嗜み」を必死で考えてやろうとしている時点で、非常に子供っぽいといえる。真の大人はさりげなく行動するもので、あえてやっている時点で、子供じみていることは否めないだろう。

 

ただ、たとえ子供っぽいといわれようとも、「大人の嗜み」を理解し、それを積み重ねて生きたいというのが、私の現状における目下の課題である。多かれ少なかれ同じ課題を抱えている30代はいるのではないかと密かに感じている。

 

その「大人道」のヒントになるかもしれないのは、日経新聞で連載中の林真理子の『愉楽にて』である。内容は、53歳の悠々自適に暮らす男性が、30代の女性を片っ端からたぶらかしていくという今のところきわめて清々しい小説である。

 

主人公「久坂」は余裕のある素敵な中年男性である。シンガポール行きの飛行機では白ワインを飲みながら読書をし、顔なじみとなったCAから名詞を渡される。ラブシーンにおいては、女性の胸をもみしだき「素敵だよ」とつぶやける正真正銘の大人の男性である。

 

この「久坂」はある意味人生を「嗜み」尽くしている。文学を嗜み、酒を嗜み、女を嗜む。もう嗜みまくりである。

 

今後何をどう嗜んでいくのか、展開が非常に楽しみである。

「大人の嗜み」を知る上でのヒントが出てくるに違いない。

引き続きその生態を観察し続けたい所存である。



地域の運動会について

本日9月24日は住んでいる地域の運動会に参加した。

最後に運動会に参加したのは、かれこれ20年ほど前になる。

結論から言えば、大変有意義な時間となった。

 

なんでも今年で46回目を迎える、大変に歴史のあるイベントらしい。

それを裏付ける証拠に、県知事の奥様が訪れ、来賓の挨拶をしていたくらいだ。

 

高齢化は進む一方だ。会場には500人くらいいたと思うが、60%は高齢者という印象だった。

 

地元の小学校のグランドを借りて実施した。各地域ごとにテントをはり、ブルーシートと長テーブルを用意。パイプいすをテントの外に設置し、総勢30~40人くらいは座れるようになっていただろうか。そんなテントが参加地域数、20程度、トラックを囲むように並んでた。誰でもわくわくしてくるシチュエーションである。

 

式次第も非常に懐かしいラインナップだった。国旗掲揚に始まり、選手宣誓、ラジオ体操等誰しも馴染みのあるものを一つずつ消化していった。

 

地域の運動会は、衰退させてはならない良き文化である。

久しぶりに参加してみて、私は運動会を重視する姿勢を一段と強めた。

今後、30代以下の参加意欲の刺激は、急務なってくるだろう。

 

若い世代が強い参加意欲を見せていかないとせっかくの文化も息切れしかねない。

まったくもって楽観はできない状態だ。

 

普段生活をしていて、利害関係のない年の離れた方とのコミュニケーションは貴重なものとなってきている。今や苦手意識する持っている若い世代も少なくないかもしれない。マンションも増える中、近隣との関係の希薄化は避けては通れないだろう。

 

学者の外山滋比古氏は著作の中であるユニークな取り組みを紹介している。

イギリスの「ルーナーソサエティ」という満月の日に専門家が集まり雑談をするというものだ。専門を異にするものたちが一同に介しさまざまな意見交換をする。イギリスが産業革命を起こせたのは、この取り組みのせいではないかといわれている。

 

その他にも、新進気鋭のプロデューサー川村元気氏の対談集の中で、

スーパーマリオの生みの親、宮本茂のエピソードが紹介されている。それは、宮本茂は今でも地域社会のイベントには積極的に参加しており、進んで子供を引率しているらしい。職業柄、子供とのコミュニケーションは欠かせないということもあろうが、やはり世代や職業を超えた付き合いがもたらすものは、計り知れないものがあるのだと思う。

 

運動会の復活は、地域活性化のみならず、世代間交流の活発化による、アイディアの創出という副産物を生む可能性を孕んでいる。

 

今日聞けた話の一端を紹介しておこう。綱引きのコツ。昔は地域のお祭りで個人が花火を打ち上げていたこと。家のすぐの近くに連れ込みやどがあり火事で全焼したこと。病児保育のニーズは非常に高まっていること。いまどきの選手宣誓について。

どうだろう。ちょっと聞いてみたくなるネタではないだろうか。



あまり自分本位に地域のイベントを考えるのも貧乏くさい話なので、メリットは是非個人個人が享受してみてほしい。

 

何よりも疲れるが楽しいというのが運動会の魅力である。

運動会後のお風呂は代えがたい贅沢だ。

 

ドライヤーの時間

人生でもっとも無駄な時間は言うまでもなくドライヤーの時間である。だったら、坊主にすればいいではないかという声も方々から聞こえてきそうだ。坊主にしたいという思いは常々ある。しかし眼前に悠然と立ちはだかるのが我が家族である。

 

はなはだ遺憾ではあるものの家族の支持がなかなか得られない。つい先日も届出を出したが、あっさりと不信任案をつきつけられてしまった。理由はなんか違うんじゃない?というもの。この民主主義社会にあってなんとも心もとない理由だが、それ以上何もいえないあの感じはなんであろうか。なので坊主にすることは当面あきらめている現状だ。

 

ドライヤーの最中は考え事をするにも音がうるさくて適さない。

毛量が多いほうなので、おそらく髪の長さは10センチないくらいだと思うが、3分くらいかかってしまうのである。

 

3分といえば、随分と重みのある時間である。ともすれば大変長く感じてしまうこともあるだろう。たとえば、信号待ちの3分はどうだろう。かなりストレスフルなのではないか。電車を待つ3分も同様で、心持しだいでは途方もなく長いといって差し支えないだろう。ましてや現状回復をひたすら目指すだけが目的のドライヤーの時間などは、耐えがたきものとなる。

 

耐え難きを耐え乗り越えることが、大人の嗜みであることは理解しているつもりだが、

先日ついにドライヤー中に「これ何の時間?」とブラックマヨネーズ小杉さんの厳しくも愛のあるツッコミを入れた次第である。堪忍袋を緒が切れてしまったのだ。

 

緒が切れてしまった以上、何かリカバリー策を講じなければならない。

マイナスを生んでしまった場合に埋め合わせるのは社会人の義務である。

「どうやってリカバルの?」。そこかしこから聞こえてきそうである。

 

ドライヤーをしながらでもできることはなにか?

悩みに悩んだ挙句、私はドライヤーの時間を使って勉学に励むことにした。

 

今とある資格を取るために勉強を続けている。その勉強をすることにしたのだ。

うちは洗面所の真横に洗濯機が隣接しているのだが、その上にノートを広げ復習しながら髪を乾かすことにしたのだ。

 

する今度はまた不思議なことが起こった。復習に夢中になるあまり髪がすぐに乾いてしまい、この3分で物足りない気分になってしまったのだ。

 

物事はなかなか思い通りに進まないものである。