書評習慣

書評を中心に様々なコラムやエッセイを書いております。

エッセイ「物々交換ドットコム」

ビットコインが改めて、注目されている。

クラウドワークスで、ライティングの仕事を検索するとビットコイン関連の記事の翻訳の仕事の単価が高い。ニーズがあれば、おのずと金額も高くなる。

つまりニーズ=価値といえる。世の常を感じる部分だ。

 

かのマルクス資本論の中でこういう主張をしている。

 

「貨幣とは、欲望の実行を先送りにするものである。」と。

非常に素敵なフレーズと同時に、鋭くその機能を説明している。

 

欲望の実行権利を託したものなのであるから、当然その価値は高い。

貨幣の暴落や損失は、その本質的な価値である欲望との交換を不履行してしまうわけだから、その喪失感は並大抵ではない。

 

今回の流出事件でも、貯金の大半を預けていた人もいるようなので、

いかに貨幣との向き合い方が重要か改めて考えた人も多いと思う。

 

私自身はビットコインの仕組みについては、凄く良いものだと感じている。

たとえば、円などは、日本銀行という胴元がいて成り立っている世界だ。

胴元が存在するということは、必ず「胴元=親」が得をするように構造ができてしまっている。

 

ビットコインには中央で管理する機能はないため、あくまでその存在を暗号化し、

取引を連綿と記録し続けることで、その独自性を保持している。

 

頑健な取引所さえ保障されれば、これほど可能性を持った貨幣はないと思う。

 

その一方で、「貨幣」を使うということそのものを揺さぶってみたいという考えも

ある。

 

物々交換の復活だ。正確にいえば、ミクロの世界では行われているはずなので、

世の中的に大きな動きに発展できないかと考えている。

 

冒頭に価値は世のニーズが決めると書いた。

 

そこで、物々交換で価値の交換をする世の中を改めて作れないかと思うのだ。

 

欲しいものといらないものが真逆の人たちがいるはずだ。

 

Aさんは、お米が余っているが雑誌が欲しい。

Bさんは、雑誌は余っているが、お米が欲しい。

 

要するに、このAさんとBさんをネット上で結びつけるわけである。

簡単にいえば、メルカリに出品した物の対価をモノで払うということである。

 

私は最悪物々交換が成立しなくてもいいと思っている。

とある人の「欲しいものは●●、いらないものは●●」という情報は、

世間に潜むニーズに気づける重要な情報ではないかと思うのだ。

 

とここで、ふと気になって、ググってみたところ、

物々交換を行うサイトは、常に存在していた。。

 

誰しも考えることは同じである。

自信のあるアイディアほど、すぐに返り討ちに合う。

 

これも世の常か。

エッセイ「規則正しい男が抜擢される時代の始まり」

日経新聞の「けいざいじん」というコーナーを毎回楽しみにしている。

上場企業の社長に着任する人の「人となり」を紹介する記事だ。

 

最近の複数回を見ていて、あることに気がついた。

 

アステラス製薬ソニー東急電鉄日本電産

名だたる企業であるが、新たに社長にする就任する人たちに共通しているのは、

派手さよりも実直な業務推進能力だ。長きに渡り仕事を着実に積み上げてきた人たちという印象が強い。

 

0から1を生み出す人たちというよりは、マイナスをプラスに戻すような人たち。

サッカーで言えば、ディフェンス陣の雄といったイメージ。単なる偶然なのかもしれない。

 

ただ、日本電産の永守氏は子会社の立て直しを任せると経営手腕が分かると言っている。

 

中小企業をはじめ多くの企業で後継者問題が取りざたされているが、次世代を担う人材は実は、地味でまじめな人たちなのではないか。そして、企業の代表に限らず、様々な分野でそういう人材が求められているのではないか、そういう人材が成果をあげているのではないかというのが、という思いを最近強く持っている。

 

先日の日経新聞のスポーツ欄のコラムで、青山学院の原監督が、規則正しい生活のススメという文章を書いていた。無理をせずに着実に日々を積み上げていくことが重要という意味のことを主張していた。

 

話は飛ぶが、実力派芸人のコンビの中でもとりわけ玄人好みのサンドウィッチマンというコンビがいる。わざわざ説明しなくても知っている人も多いだろう。彼らは、今でも単独ライブをルーティンとしており、ボケの富沢のほうは、多くの時間をネタ作りに割いているという。

 

また、かつて国家予算の8分の一の財産を築いた安田善次郎という男がいる。

安田財閥創始者だ。

 

彼曰く、成果を決めるのは、習慣だと言い切っている。どれだけ実のあるルーティンを毎日こなしていくか。

 

卑近な例だが、1日10回の腹筋も365日続けると3650回まで積みあがる。

当たり前だが10年間で3万回にも及ぶ。

 

日経新聞に話を戻す。2月18日付けの新聞にBMWの広告が出ていた。

 

「日々の努力、小さな積み重ねが革新性につながる 中田英寿

 

質の高いルーティンを持つ者か否か。

改めて採用、抜擢における判断軸になるのではと睨んでいる。

書評『親鸞(上)』五木寛之 2011年

立川談志は落語とは人間の業の肯定と言った。

「業」とはどうしようもない人間の弱い部分と言い換えることもできるだろう。

 

親鸞は人間の「業」と徹底的に向き合った、もっと言えば”幸いなことに”向き合わざるをねなかった男といえるかもしれない。

 

本書は、親鸞の幼少期からの出会い、生き様、苦悩を描いた成長物語である。

物心つく前から、堂僧として比叡山に入り、ただひたすらに学問と念仏にあけくれた親鸞

 

しかし折に触れて自らの胸に去来する違和感。

それは自らに流れている「放埓の血」が原因となっていた。

 

仏道に身をおきながら、心の奥底にうごめく「放埓」と向き合う姿には、孤高の存在だけがもちうる悩みだと感じる一方で、誰しもが共感できる部分もあり、興味深い。

 

坊主の話と聞くと、敬遠する人、退屈なのではと想定する人もいるかもしれないが、

そこは、五木寛之の著作である。魅力的な人物の目白押しである。

 

圧倒的な文章力はもとより、展開するストーリーにおいて、常に人間の持つ欲望の生々しい躍動があり、読んでいてあきることがない。

 

物語は、闘牛の場面から始まり、俗世間をたくましく生き抜く男たちとの出会い、

わけ隔てないおおらかな心を持った「大文化人」後白河方法に恨みを持つ男との戦い

など、刺激的なエピソードで溢れている。

 

本巻の一番の読みどころは、幼少期から青春時代にかけて修行に明け暮れた

親鸞に決定的な意思決定をもたらす一人の女性との出会いである。

 

親鸞はその女性と計2度出会うことになる。

そして、ある事件をきっかけに親鸞の運命は大きく変わることになる。

 

人間の業に向き合い続ける男の戦いに向き合うことは

自分自身がどういう人間であるかを問うことにもなるだろう。

 

業深き人間たちの運命が交錯しあい物語は進展していく。

心の中をかきまわしてくる作品であることは間違いない。

書評『モネのあしあと』原田マハ 2016年

あなたには好きな画家がいるだろうか?

本書は好きな画家を持つことがいかに幸せなことかを教えてくれる。

 

原田マハさんは、元々アートの世界に身を置いていた作家である。

アートを仕事にしていたときと比べると、肩肘張らずにアートに向き合えるようになったという。

 

楽しいアートエッセイというのが本書の印象であるが、生業から離れたからこそ、

書けたものなのかもしれない。

 

本作の中で取り上げられるのは、印象派を代表する画家、モネ

モネの作品をはじめ様々な画家の作品を取り上げながら、その魅力を語っていく。

 

印象派の絵画がなぜここまで日本人を含め多くの人を魅了するのか?

その疑問にも答えてくれる1冊となるかもしれない。

 

私が読んでいて一番感銘を受けたのは、「妄想のストック」という彼女の言葉だ。

 

この妄想のストックは現存する画家足跡を辿りながら彼女の中に蓄えられている。

 

本当に手持ち無沙汰な状態で妄想を行うことは並大抵のことではない。

 

やはり何かきっかけになるもの=メディア(媒介)があるからこそ、

思いをめぐらせることができるのだろう。

 

それが、心をひきつける絵画であれば、妄想の営みは貴重で豊かなものとなるはずだ。

 

じっくり思いを巡らせ、イメージを膨らませる。さらには、画家が関わった土地に足を運び、歴史的な背景も知る。

 

贅沢な大人の遊びといえるだろう。








書評『保育士という生き方』井上さく子 2018年

保育士のイメージを一変させる書籍が必要だと感じていたが、その一端を担う本が登場した。著者は38年間保育の仕事に携わってきたエキスパート。

 

井上氏は保育のゴールは「自己肯定感を持ってもらうこと」だと主張する。

 

保育は誰でもできる仕事と主張する人もいることを考えると、

人に自己肯定感を持ってもらうと聞くとそんなに難しい仕事?という声もあるかもしれない。

 

本書は、保育士になるきっかけから始まり、母親業との両立、園長になってからのこと、今後の保育園に対する思いなどが語られている。

 

保育士を目指す人はもちろんのこと、イメージばかり先行して、実態を知らない人

にも是非手にとってほしい1冊だ。「子どもと遊ぶ仕事でしょ?」というような心ない言葉も聞かれる保育士だが、この本を読めば、そんな甘いイメージは一変されるだろう。

 

あくまで参考だが、保育士に求められるスキル例を列記してみたい。

 

子どもをしっかりと見守り安全を確保→警備業の要素

 

子どもに刺さる遊びを生み出し実行する→企画、プレゼンテーション力

計画を遂行するために集団をスケジュールどおりに導くリーダーシップ→ツアーコンダクター的要素

 

様子の変化をいち早く読み取る→観察力

 

ぐずる子どもを説得し行動を促す→言葉で人を乗せる表現力、説得力

 

落ち着いた午睡を実現するための寝かしつけ→子どもごとのツボを押さえスムーズに入眠させる。

多忙な保護者たちに子どもの様子を的確に伝える力→要約力

 

あまりクローズアップされないが、一流の保育士たちは、ビジネスの世界でも重宝される能力をいくつも兼ね備えたエキスパートである。

 

また、井上氏が園長に就任してからのエピソードも興味深い。

 

近隣との騒音問題も各地で勃発しているが、井上氏はクレームの声をあげた夫婦を保育園に招待をしている。しっかりコミュニケーションをとり、子どもの実態を見てもらい、最後には「本当に良い園ですね」と言わしめている。

 

プロ意識を持って、子どもの笑顔を見ることを目指した井上氏が為した仕事は非常に大きい。





書評『意志の力』安田善次郎 2014年

安田善次郎とは、安田財閥創始者みずほ銀行安田生命火災保険の創始者でもある、史上最強の経営者といっても過言ではない人物である。

 

本書のカバーにも記載されているのだが、個人で築いた資産は、1921年当時で国家予算の8分の1である。%でいうと12.6%。ちなみに孫さんで0.9%、柳井さんで1.3%といわれている。いかに巨大な富を築いていたかがわかる。

 

この本は、安田が若者に向けて人生を生きていく上で大切なものを説いた書籍である。

 

作者の守屋淳が現代語訳をつけ出版した力作である。

こういう書籍が現代人に読みやすく復活することは素晴らしいことだと思う。

 

では安田善次郎とはどんな男であったか。

一言で言ってしまえば「ルーティンの鬼」である。

 

善次郎式人生訓はがっつりまとめると以下となる。

 

①習慣づけること

②質素倹約

 

まず、①だが善次郎は厳しい父の元非常に厳しい幼少期を過ごしている。

それを裏付けるエピソードが、写本の話だ。当時はまだ印刷技術が発達していないため、本は、丸写ししたものを販売していたらしい。筆耕というらしい。

 

善次郎は夜のルーティンとして、毎日30枚書くことを日課としていた。どんな日であっても、必ずやり遂げていたという。

 

本を読むのがそもそも好きだったと述懐しているが、一日30枚書き続けるのは並大抵のことではないと思う。

 

②の質素倹約だが、善次郎の教えは現代でも活かされている。

 

収入のうちの2割を貯蓄に回すという考えだ。ファイナンシャルプランナーでも勧めてくれる人がいる考え方だ。これを実現するために、収入の8割で生活を組み立てるという計画が非常に重要であると実感した。

 

この考えを実行するとおのずと家庭も企業と同様にお金の出入りを明らかにし、経営することが身についていくだろう。

 

「ひとたび決めた方針に向かって、どんな誘惑や困難がきても惑わず屈せず、急がず焦らず、少しずつ一歩一歩を順序正しく踏み固めてコツコツと進むこと、これすべての人間が例外なく成功できる出世術である」

 

莫大な資産を築いた仕事人の言葉は、極めてシンプルだが、実行する人がおそらく数%もいない非常に厳しい道のりなのだ。




書評『世界一の庭師の仕事術』石原和幸 2009年

著者は大学卒業後路上の花屋からスタートし、一念発起して、イギリスの権威あるコンテスト「チェルシーフラワーショー」でゴールドメダルを受賞した。本書は、その成功までの道のりを自ら語った物語である。

 

2つの視点から本書を分析してみた。

 

①成功の要因と②失敗した要因である。

 

まず①であるが、これは間違いなく「目の前のお客さんを喜ばせ続けた」ことに他ならない。感動を与えるとお客さんが営業マンになってくれると語っているがまさにそうである。

 

②については、社長業に専念するようになり①ができなくなったこと、金を手にした事で考え方が「結果的に」横柄になり、目の前の顧客から離れてしまったことが大きいように思う。

 

よって本書から学べる最大の教訓は、「奢れるものは久しからず」ということになるが、常に成功する人は、自らの強みを活かし続けながら、不断の原点回帰をする人であることを示唆してくれる。

 

また、思い立ったら即行動に移すその行動力には舌を巻くほかない。

 

見たいと思ったら見に行く。

会いたいと思ったら会いに行く。

 

素早い行動の積み重ねは、ある時大きな飛躍に繋がることを著者は教えてくれる。