立川談志は落語とは人間の業の肯定と言った。
「業」とはどうしようもない人間の弱い部分と言い換えることもできるだろう。
親鸞は人間の「業」と徹底的に向き合った、もっと言えば”幸いなことに”向き合わざるをねなかった男といえるかもしれない。
本書は、親鸞の幼少期からの出会い、生き様、苦悩を描いた成長物語である。
物心つく前から、堂僧として比叡山に入り、ただひたすらに学問と念仏にあけくれた親鸞。
しかし折に触れて自らの胸に去来する違和感。
それは自らに流れている「放埓の血」が原因となっていた。
仏道に身をおきながら、心の奥底にうごめく「放埓」と向き合う姿には、孤高の存在だけがもちうる悩みだと感じる一方で、誰しもが共感できる部分もあり、興味深い。
坊主の話と聞くと、敬遠する人、退屈なのではと想定する人もいるかもしれないが、
そこは、五木寛之の著作である。魅力的な人物の目白押しである。
圧倒的な文章力はもとより、展開するストーリーにおいて、常に人間の持つ欲望の生々しい躍動があり、読んでいてあきることがない。
物語は、闘牛の場面から始まり、俗世間をたくましく生き抜く男たちとの出会い、
わけ隔てないおおらかな心を持った「大文化人」後白河方法に恨みを持つ男との戦い
など、刺激的なエピソードで溢れている。
本巻の一番の読みどころは、幼少期から青春時代にかけて修行に明け暮れた
親鸞に決定的な意思決定をもたらす一人の女性との出会いである。
親鸞はその女性と計2度出会うことになる。
そして、ある事件をきっかけに親鸞の運命は大きく変わることになる。
人間の業に向き合い続ける男の戦いに向き合うことは
自分自身がどういう人間であるかを問うことにもなるだろう。
業深き人間たちの運命が交錯しあい物語は進展していく。
心の中をかきまわしてくる作品であることは間違いない。