高配当株にコツコツ長期投資

書評中心に記事を書いてきましたが、装いも新たに、高配当株投資をテーマに様々なことを書き散らしていきたいと思います。

【エッセイ】アンガーマネジメントについて

昨日、仕事帰りに車を運転していた際の事。

 

信号青で直進しようとしたら、右折車がいきなり突っ込んできました。

 

あやうく衝突するところでしたが、急ブレーキを踏んで事なきを得ました。

 

一番腹が立ったのは、右折車が何も詫びずに走り去ったこと。

交通マナーの悪さよりも、人としてのマナーの欠如に一番腹が立つわけです。

 

さらに私、割と沸点は低い方なので、頭に血が上り怒り心頭です。

 

悪魔が囁きます。

 

「あんな舐められた真似されたんだ。追いかけて一言言ってやれよ」

 

天使も囁きます。

 

「あなたには守る者がいっぱいあるでしょ。揉め事は厳禁」

 

もう一人の清濁併せ持つ君が囁きます。

 

「でも、腹立たしいのは事実だよね。素敵なやり方で怒りを鎮めよう」

 

ちょうどその日の朝、車のテレビで、アンガーマネジメントの特集を

見たところでした。怒りは大体6秒で鎮まる。その際に、自分なりの方法を持っておくと

良いというのを学んだばかり。

 

とりあえず、直進して次の信号待ちの時に、なんとなく思いついて

 

目をつぶって、柏手を2回打ち、「彼に幸あれ」と手を合わせて念じてみました。

 

すると、不思議なことに、気持ちが落ち着いて、

怒りが少し収まりました。

 

自分なりの方法を見つけた気がしました。

 

これから外で舐めた輩に遭遇したら(言葉遣い悪いな・・・)、

柏手を2回打って、手を合わせて供養していきたいと思います。

 

「彼に幸あれ」を合言葉に。







【エッセイ】いきなりタメ口で話してくる人をどう整理するか?

たまにいますよね。

 

初対面なのに、タメ口で話してくる人。

 

その理由は、いくつかあるかもしれないですが、

概ね、「相手をなめている」という点に集約されると思います。

 

相手が危害を加えてくる可能性がある場合は、

絶対にタメ口などききませんから。

 

じゃあ、なぜこちらをなめてくるのか?

 

年下だと思っている。

格下だと思っている。

礼儀知らずで誰にでも同じ対応を取っている。

 

くらいが理由かと思いますが、勝手に思い込んでいる訳です。

 

要するにタメ口をきいても大丈夫な相手だとたかをくくっている訳です。

 

おそらくこの手の人は、車の運転においても都合よく解釈するタイプで、

「かもしれない運転」ができないタイプです。

 

つまり、年上かもしれない。敬うべき相手かもしれない。

という思考が働かない訳ですね。

 

大変な危険思想の持ち主だと思います笑

 

なので、この手の人に出会った場合は、怒ることなく

こう思うようにしたほうが得策です。

 

「この人は人のことを誤解してしまう人なんだと」

 

初対面で、瞬時に相手の事を判断し、タメ口をきいてしまうというのは、

冷静に考えると、非常に危険な人物だと言わざるを得ません。

 

できる限り冷静に対応して、早めに距離を取るべきなんです。

 

物事を高圧的に誤解し続ける人というのは、一見強くて相手をねじ伏せているように見せますが、徐々に距離を置かれ、人と信頼関係がなかなか築けないという欠点があります。

 

そして、人と信頼関係が築けない人というのは、人から受け取るものが極端に少なくなってしまう。そもそも信用されにくいので、その人の言う事は話半分で聞かれてしまう。

 

結論どういうことか?

 

取るに足らない人だということが分かるわけです。

揉めて噛みつかれでもしようものなら、百害あって一利なし。

絶対に関わってはいけない相手です。

 

初対面でいきなりタメ口をきいてくるような相手には、慇懃無礼に接して、

とにかくソーシャルディスタンスを保つことが肝要です。

 

ウイルス感染を防ぐ行為に似ていると思います。

【エッセイ】関テレのドラマが面白い理由

私「(鼻歌)フフフフ、フー、フフフフ」

奥さん「みたの?笑」

私「昨日起きて観た。ハッピーエンドではなかったけどね」

奥さん「私も最後の方は観た」

 

察しのいい方はすでにお気づきかもしれません。

火曜ドラマ『竜の道』の最終回の話です。

 

鼻歌は、SEKAI NO OWARI『umbrella』のAメロ(?)の部分。

「私は君を濡らす」のとこです。曲調がドラマの世界観に合っていで最高です。

 

エンドロールに注目すると『竜の道』もカンテレでした。

実は、『CRISIS』も『銭の戦争』も、『アンフェア』も全部カンテレです。

 

なぜカンテレは見逃すと凹むレベルのドラマを作るのか?

ずっと気にはなっていました。少し調べてみると、

以下の文にヒントを発見しました。

 

「実は地方局でプライムタイムに全国放送のドラマ枠を持っているのは関西テレビだけ。関西テレビのドラマ制作は、かつて独立系映像制作会社に制作協力を仰ぐケースが多かった。しかし制作会社の力を借りずにドラマを作ろうという機運が高まった時期があり、大赤字を出しながらもドラマを自主制作中心へと切り替えてきました。この社内のムーブメントがコンテンツ制作力を磨き、今回のCRISISを生み出しました」

 

※参照 関テレ「公安ドラマ」は世界でヒットするのか より https://toyokeizai.net/articles/-/166526

 

キーワードは「内製」ではないかと思っています。

 

実は「超内製」でヒットしているTVコンテンツは他にもあります。

 

例えば、

 

アメトーーク!加地倫三、「ゴッドタン」佐久間宣行、「水曜どうでしょう藤村忠寿

 

3人の共通点は、演出を現場の最前線で行っているということ。超内製と言っていいレベルで出演者に肉薄していきます。面白いことが何か知り尽くしている人が、オケの最前線で指揮棒を振っている訳です。私は、これが出色のコンテンツを生み出している要因ではないかと推察します。

 

前述の記事内でもコメントしていますが、関テレのキーマンは、コンテンツビジネス局長の岡田美穂さんという方の様です。

 

是非この岡田さんの仕事ぶりを『セブンルール』で密着してほしいです。

間違いなく関テレコンテンツの面白さの秘密に迫れると思います。

と思ったら、『セブンルール』も関テレなんですね~。

【エッセイ】インプット=華やかで楽しい、アウトプット=地味でつまらないというどうしようもない事実

ふとPCで作業をしていて気づいてしまいました。

 

インプットは華やかで楽しく、アウトプットは地味でつまらない

ということを。

 

なぜそうおもったか?

 

パソコンでエクセルを広げて、アイディア出しをしていた際、

少しいきづまると、画面を切り換えて、ネットの記事を読んだり、

インプットの方に走ってしまう自分に気づいたのです。

 

なぜなのか?

 

きっと、インプットの方が、楽で、楽しいからです。

 

インプットという行為には、読書、映画、音楽、TV、動画、ネットニュースなど

楽しいものが満載です。

 

一方でアウトプットですが、これはよく考えると非常に無味乾燥な行為ですよね。

作家さんなら文書ソフトに。音楽家なら楽器やパソコンのソフトに。

画家なら白いキャンバスに。

 

とにかく”何もないこと”に向き合わないと行けません。

何もないところから出発しないといけません。

 

で、この何もないことに向き合うという作業、行為それ自体が

とてつもなくつまらないわけです。苦痛を伴うわけです。

 

しかし、この言い方は半分正解で半分間違っています。

 

というのも、真っ白いキャンバスに向かって何も出てこないのはつらいですが、

頭を働かせ、手を動かすことで、アイディアがひらめいたり、筆が進んだりすると、

なんともいえない高揚感を味わえることもあるからです。

この感覚は、素人の私でも感じることがあるほどです笑

 

そして、成功する人(質の高いアウトプットを続ける人)の多くは、このつまらないアウトプットの作業をルーティン化しています。つまり、つまらないことから逃げない仕組みを

作っています。

 

自分が続けられることをアウトプットの手段にしていると言い換えてもいいかもしれません。

 

イチローの素振りしかり、村上春樹森博嗣の執筆スタイルしかり、

決めたことを淡々とやり切り続ける人は、大きな成果を出しやすいと感じます。

 

けれど、多くの人がアウトプットの入口で挫折してしまいます。

なぜなら、アウトプットの入口周辺はどうしようもなくつまらないからです。

 

じゃあどうすればアウトプットの入口を面白くできるのか?

 

今のところ、私もその方法についてはアイディアがありません。

誰にとってもしんどいのがアウトプット行為なんだと思います。

 

だからこそ、入口で躓かないためにも最低限自分が好きでやれることで、

人よりうまくやれることを生業にしたほうがいいのだと思います。

 

上手くやれることを見つけるコツとしては、私の経験上は、

自分で決めるより、身近な人にアドバイスを求めるほうが良いということです。

【エッセイ】推敲について

昔から推敲が苦手でした。

 

書き上げた文章を見直すという作業が面倒で仕方ない。

 

ただ、そんな感じでした。

 

でも、最近は、一気に文章を書き上げたとしても、

一晩カレーのように寝かせて、丹念に味を確認して、

微調整した上で、ブログにアップするようにしています。

 

推敲が面倒だったとすれば、昔は、傲慢だったんだと思います。

書いたものを見直さなくても、それなりのものに仕上がっているだろうと。

そんな慢心がありました。

 

どこから生まれた自信なのか、皆目分かりませんが、

見直して書き直すということをしませんでした。

 

今回は、素人ながら感じる推敲の重要性について

書いてみたいと思います。

 

推敲をしてみて気づいたメリットは以下の3つです。

 

①一晩寝かせてからもう一度見直すと自分の書いた文章の荒さに気がつける。

②「てにおは」のおかしさや論理の矛盾に気づくことができる。

③自分が書いた文章を眺めながら、改善を図ろうと思考する事自体が

一番の文章修行になる(はず)。

 

ここまで書いていて少し恥ずかしくなったのですが、

もしかしたら出版社にお勤めの人やプロの作家からすれば、新人にも教えないくらい

当たり前のことなのかもしれませんね。

 

3つのメリットなんて偉そうに語ってますが、

たぶん推敲って文章を書く人が行うべき最低限の礼儀、マナーに近いものなんですよね本当は。

 

でも我々は小さい頃から文章を書く機会は、たくさん与えられていましたが、

推敲に推敲を重ねるような努力はしてこなかったのだと思います。

 

要因は以下のようなことでしょうか。

 

・学校では先生にも生徒にもそこまで文章にかける時間はなかった

 

・物心ついてネットでブログを始めても、誰かに手直しをしてもらったりは少ないはず。

ましてや自身で推敲するなんて。

 

・具体的な推敲のやり方を教わっていない。

 

そういう意味では、推敲の重要性に気づくことが難しい環境下に

置かれていたとも言えるでしょう。

 

実はこの推敲ですが、プロの作家達が一番力を入れて、一番時間をかけてやっている

はずです。

 

なぜか。

 

それは、出版社の編集者のOKがでなければ、出版にこぎつけることはできないからです。

 

編集者の皆さんは、それはそれはたくさんの本に目を通してきた

プロフェッショナル。

 

つまり、推敲作業は、プロフェッショナルの人たちの方が、

一生懸命やっていることになります。

 

推敲は文章にとって肝なのに、プロしか力を入れてやっていない可能性がある。

 

そんなことはあっていいはずはありません笑

 

プロ野球選手で例えると、素振りやフォームの確認をプロの方がちゃんとやっている

ということです。

 

現代はSNSや動画サービス全盛時代だと思いますが、

それでも、書ける力の価値は今後も揺らがないと思います。

 

そういう意味では、文章の素人こそ、徹底的に推敲して、

自身の文章を練り上げていく必要があるのではないでしょうか?

【エッセイ】推敲について

昔から推敲が苦手でした。

 

書き上げた文章を見直すという作業が面倒で仕方ない。

 

ただ、そんな感じでした。

 

でも、最近は、一気に文章を書き上げたとしても、

一晩カレーのように寝かせて、丹念に味を確認して、

微調整した上で、ブログにアップするようにしています。

 

推敲が面倒だったとすれば、昔は、傲慢だったんだと思います。

書いたものを見直さなくても、それなりのものに仕上がっているだろうと。

そんな慢心がありました。

 

どこから生まれた自信なのか、皆目分かりませんが、

見直して書き直すということをしませんでした。

 

今回は、素人ながら感じる推敲の重要性について

書いてみたいと思います。

 

推敲をしてみて気づいたメリットは以下の3つです。

 

①一晩寝かせてからもう一度見直すと自分の書いた文章の荒さに気がつける。

②「てにおは」のおかしさや論理の矛盾に気づくことができる。

③自分が書いた文章を眺めながら、改善を図ろうと思考する事自体が

一番の文章修行になる(はず)。

 

ここまで書いていて少し恥ずかしくなったのですが、

もしかしたら出版社にお勤めの人やプロの作家からすれば、新人にも教えないくらい

当たり前のことなのかもしれませんね。

 

3つのメリットなんて偉そうに語ってますが、

たぶん推敲って文章を書く人が行うべき最低限の礼儀、マナーに近いものなんですよね本当は。

 

でも我々は小さい頃から文章を書く機会は、たくさん与えられていましたが、

推敲に推敲を重ねるような努力はしてこなかったのだと思います。

 

要因は以下のようなことでしょうか。

 

・学校では先生にも生徒にもそこまで文章にかける時間はなかった

 

・物心ついてネットでブログを始めても、誰かに手直しをしてもらったりは少ないはず。

ましてや自身で推敲するなんて。

 

・具体的な推敲のやり方を教わっていない。

 

そういう意味では、推敲の重要性に気づくことが難しい環境下に

置かれていたとも言えるでしょう。

 

実はこの推敲ですが、プロの作家達が一番力を入れて、一番時間をかけてやっている

はずです。

 

なぜか。

 

それは、出版社の編集者のOKがでなければ、出版にこぎつけることはできないからです。

 

編集者の皆さんは、それはそれはたくさんの本に目を通してきた

プロフェッショナル。

 

つまり、推敲作業は、プロフェッショナルの人たちの方が、

一生懸命やっていることになります。

 

推敲は文章にとって肝なのに、プロしか力を入れてやっていない可能性がある。

 

そんなことはあっていいはずはありません笑

 

プロ野球選手で例えると、素振りやフォームの確認をプロの方がちゃんとやっている

ということです。

 

現代はSNSや動画サービス全盛時代だと思いますが、

それでも、書ける力の価値は今後も揺らがないと思います。

 

そういう意味では、文章の素人こそ、徹底的に推敲して、

自身の文章を練り上げていく必要があるのではないでしょうか?

【エッセイ】過去を簡単に忘れ去る者こそが担える役割とは?

先日、フジテレビ系列のドキュメンタリー番組

『セブンルール』に、漫画家の鳥飼茜さんが出演しておりました。

 

名前に見覚えがあったので、注目してみたら、

過去に漫画を買ったことのある方でした。

 

ご存知の方も多いと思いますが、

セブンルールについて、改めて説明しておきます。

 

主人公は、「女性」でその仕事ぶりに密着するドキュメンタリー番組です。

MCは、YOU、青木崇高尾崎世界観、長濱ねるの5名です。※敬称略

 

セブンルールの意味というのは、その女性が仕事や人生にまつわるルールを

7つ紹介していくという内容です。

 

今回、鳥飼茜さんの回を見ていて、非常に大きな気づきがあったので、

書いてみたいと思います。

 

それは次のルールを見て、気がついたことです。

 

「過去の自分を総動員して漫画を描く」

 

鳥飼さんは、過去の自身に起こった出来事をすべて漫画の中で

活かそう、反映しようとします。現在連載中の「サターンリターン」は過去に自殺した友人から生まれた物語だそうです。

 

ある意味、自分の人生を全て作品に昇華しようとして生きている

ということですよね。

 

壮絶な生き方だなと胸がアツくなりました。

 

一方、私はといえば、ちょっと嫌なことがあっても、少し寝るだけで忘れてしまう。

かなりイヤな事でも、1,2日で忘却のかなた。

昔のことは正直あんまり覚えていません。

 

自分の人生を作品に昇華するだけのパワーもセンスもありません。

あるのは、過去を背負い投げして捨ててきた過去だけ。

 

でも逆に鳥飼さんのおかげで気づいたんです。

 

全てを忘れて前向きに生きていくのも1つのパワーなんだろうと。

 

幸い、昔から周囲には恵まれ、オタクからヤンキーまで幅広く交友関係が

あったのが、私の強みでもあります。

 

人のマイナス面よりもプラス面を見ようとする側面が強いことも特徴として持っています。

 

何を言いたいのか?というと、

 

我々のような能天気な凡人にできる仕事は、天才を賞賛したり、これから羽ばたこうとする危うい才能の背中を押すことではないかと気づいたんです。

 

昔から本を書いたり、批評したりすることには興味ないけど、

面白本を薦める書評には強い関心がありました。

 

好きな本を他人にゴリ押しできるデリカシーのなさこそ、

私が持つ最大の強みではないかと気づいたわけです。

 

自分語りに終始してしまいましたが、

自分を客観視するための1つの手段として、何かのヒントになればいいなと思い、

文章化してみました。

 

人に興味を持ち作品に触れたり、その考え方に触れることが、

自分がどんな人間なのかを知るいいきっかけになりますね。