高配当株にコツコツ長期投資

書評中心に記事を書いてきましたが、装いも新たに、高配当株投資をテーマに様々なことを書き散らしていきたいと思います。

投資家と投機家。二人の男の仕事観

最近、株の勉強をしています。

 

目的は、中長期的に資産形成をしていくことですが、

普通の会社員や子供でも少しずつ資産を増やしていく方法を模索したいと考えております。

 

なぜそのような考えに至ったか。

 

企業に人生を捧げないとなにかと暮らしにくい今の世の中を、

少しでも変えたいなと思ったからです。

 

もっと生々しくいえば、日本人は働きすぎ。

組織にコミットしなくても、生きていける世の中にしないと、

これ以上国として伸びる気がしません。

 

なので、不労所得を得る方法を全力で考えたほうがいいと思い至ったからです。

 

それでは、サラリーマンを辞めても食べていける方法を

これからお伝えしていきます。

 

とこんな文章が続きそうです(笑)

 

なんだか、ノウハウを販売する怪しいページのような文言になってきたので、

本題に入っていきたいと思います。

 

株の勉強を進めようと考えていたさなか、

1冊の書籍に出会いました。今日はその中で学んだ二人の男について、

書いていきたいと思います。

 

皆さんは、本間家というのをご存知でしょうか。

 

本間光丘と本間宗久。実はこの二人、投資家と投機家の原型を作った男と呼ばれております。ちょっとわくわくしますね。

※みつおかとそうきゅうと呼びます。

 

実は、この本間家、山形県酒田市で財を築いた名家。

一時は、日本の最大級の富豪であった凄い家なんです。

 

「本間様には及ばぬが、せめてなりたや殿様に」

という歌が出るくらい、本間家の勢力には目をみはるものがありました。

 

この二人ビジネスセンスに関しては、飛びぬけた天才でしたが、

やり方に大きな違いがありました。

 

まず、本間宗久

彼は、天才的な相場師として名を馳せました。

 

本間家の財産を元手に、米相場に打って出ます。

人の信頼を得ながら、情報を獲得し、機を見て売買をする。

 

その手法を下支えていたのは、ファンダメンタル情報の分析。

今で言う企業の業績分析や商品分析等。

 

大胆に売り買いを繰り返すのではなく、慎重に状況を吟味して、情報を整理して、打って出るそういう男でした。投機のよしあしはともかくとして、経済情報を徹底的に分析して、行動するというスタンスは現代でも十分に通用するものだと実感しました。

 

そしてもう一人が本間光丘。こちらは投資家タイプ。

 

本間家の中で今でも語り継がれる事業が、防砂林事業です。

 

当時海沿いの酒田市は、海からの強風で、畑が砂まみれになることに悩まされていました。そこに莫大な資産を投入して、防砂林を作り上げたのが、光丘です。

しかも、光丘は金のない貧民に低金利で”道具”を貸し出し、農業に従事させる。

いわばコンサルティングを行いながら、事業を展開していきました。

現在のフランチャイズに近いかもしれません。常に長期的視点に立って行動したのが、光丘でした。

 

短期と長期。

それぞれやり方は大きく異なりますが、非常に成果を出した二人の経済人。

この二人のスタンスや仕事の仕方は現在でも十分に通用するものだと思います。 

二人の関係性や時代背景については、本書に詳しいので、是非そちらをご参照ください。

 

→『証券市場誕生!』日本取引所グループ 監修・鹿島茂

 

※本間家について書かれた本ではなく、日本の証券市場がどのように誕生してきたのか

を網羅的に記載している書物です。