読売新聞の広告で「この国は、本を読まない大人が増えた。だから子供みたいな国になってしまった」という内容を語ったのは、田辺聖子である。
本書は、エッセイ仕立てだが、飲み仲間の「フィフティちゃん」と「イチブン氏」との会話を通じ、人間の生態、特に男女のあれこれを通じて、著者がアフォリズムを導き出す示唆に富んだ1冊である。
私は田辺聖子をあまり読んだことがないため感じるのかもしれないが、
とにもかくにも、難しい熟語が夥しい数登場する。
辞書を引かずにこの本を読み通せる人は、相当博識な人だと思う。
先日作詞家の松本隆が出演したテレビ番組でこんなことを言っていた。
「作詞家を志す若い人がやっておくべきことは何かありますか」
「本を読んで語彙を増やすことです」と発言。
言葉を知らないと表現などできないという。
至極当たり前のことだが、意外と見過ごされがちな事実ではないだろうか。
絵の具の種類が多いほうが、より色彩豊かな絵画を創造することができるのと同じで、
ボキャブラリーが多いほうが、人生の機微に気づき豊かな表現が可能になるだろう。
細かなこぼれ話ではあるが、辞書を引く楽しみも紹介されている。
目的の言葉だけではなく、周辺の言葉の意味も知ることもできると。
言語化できることは、物事を相対化して認識できるということ。
つまり、様々なことを客観視できるということだといえる。
とかく窮屈で他人に不寛容になってしまうことも多い世の中。
大先輩の言うことにじっくりと耳を傾けながら、語彙を増やしていくと一味違う人生が待っているかもしれない。