かつて「書を捨てよ、町へでよう」と言ったのは、寺山修司だった。
私はここにきて、「書を持って町へ出よう」と強く訴えたい。
政治家の不倫や、心無い暴行事件が世の中に溢れているが、
そこに一つの解決策を投じたいと思う。
欲望をコントロールし、自らの性欲を飼いならすにはどうしたらよいか。
義務教育終了後にどうやってまともな大人になっていけばいいのか?
そこについて今回は考えてみたい。
結論から先にいうと、読書とナンパにほかならない。
私もまだ30年ちょっとしか生きていないひよっこであるが、やってきて良かったと心から思えるのは、上記の2つである。10代後半以降の生涯学習として、取り入れるべきは、まちがいなく読書とナンパである。大人の義務教育に認定してもいいとさえ思っている。ユーキャンの学習講座を担当したいくらいだ。
それはなぜか?まずは読書の重要性から説明しよう。
読書とはそもそも何か?簡単にいうと、作者との対話活動に他ならない。基本的には黙読を旨とするものである。声に出して読むのは、大人の知性をはぐくむ上ではあまり効果的ではないといえるだろう。(一方で子供はばんばん音読すべきである)
フィクションは、物語に没入し、異なる世界の人々に思いを馳せイマジネーションを養うことができる。
ノンフィクションは、世の中の実態を教えてくれ、視野を広げることができる。
では、この二つがもたらすものは何か?
それは、他者への思いやりを持てることと言語化できる事象が増えることである。
現代はSNS全盛時代なので、脊髄反射の典型例のような発言がネット上に飛び交っている。多くの方が経験されていることと思う。
たとえば、ホリエモンの保育士は誰でもできる発言に対して、お前が保育士やってみろ
というのは、何も生まない低レベルな反応のひとつといえる。
推敲された文章や考えを世に問う人は、プロばかりである。多くの発言は思考なき言葉の炸裂であり、とるにたらないものばかりというのが実情だ。
正直、素人の文章は目を覆うものが多い。当然自分のことは棚に上げている。一例をあげれば、ド素人の漫才を見せ付けられるのはある種の拷問である。TVでド素人の歌を聴かされたら、チャンネルを変えたくなるのは人情である。ネットで自由に発言する人はそれくらいみっともないことをしているという自覚を持ったほうが良い。
話がそれた。
上記二つの能力、他者を慮ることとボキャブラリーが磨かれていくと、他者を許せるようになり、どんどん心が寛容になっていく。さらには、他人を楽しませようという余裕も出てくるものだ。
ただ、読書だけだと、教養のレベルはあがるが、内面的な成長にとどまるので、いざというときに役に立たない。別に役にたたなくても良いのだが、犯罪を減らすことを目的にしているので、実社会での実戦を通じたで応用編のほうが重要だ。ではその応用とは何か。
続いて、ナンパの重要性についてである。おそらく男性が中心の活動になると思うが、これが非常に重要な営みなのだ。
ナンパの重要性を知っている男は、周りも巻き込んでいることと思うが、思いのほか乗ってこないというのが私の感じるところでもある。そういう意味では「同行」をお願いしてくる後輩には勝手に将来性を感じたりしていた。
チャラいなと嫌悪感を示す人も多いと思う。俺には到底できないなと思う人もいると思う。
ただ、その行動に対して、余りにリターンがある行為なので、ひとまず聞いてみて欲しい。
私がはじめてナンパをしたのは、大学生のとき。友人が空腹を満たすため、吉野家に行っている間、暇だったので、となりの女性に声をかけてみた。そんなひょんなことがきっかけだった。渋谷はハチ公前交番での出来事だ。
「これからどこにいくんですか?」
「あっコンパなので大丈夫です」
「そうですか」
結果は見るも無残な惨敗であった。
「大丈夫です」といわれるのはなかなかつらいものがある。
顔はひきつり、ひざはがくがくと震えていた。あの小刻みな震えは、一生忘れないだろう。短パンをはいていたことを心から後悔している。
ただあのきっかけをつかんだことがある意味宝物になっている。
あれから約10数年。なかには2回声をかけた人がいるかもしれないくらい東京でナンパに身を投じてきた。どうでもいい話だが、ストリートファイトという愛称で楽しんでもいた。
ナンパしてみると分かることだが、どれだけ世の中に美人が溢れているかを身をもってしることができる。タレントなどにうつつを抜かさなくても、つまりアイドル等偶像にお金を落とさなくても、世の中には綺麗な人、かわいい人がたくさんいる。
(美人にしか声をかけないというのを厳密なルールとして敷いていた)
ナンパをすると、自らの心臓を業火にさらすことができる。メンタル面を鍛えることができる。
今まで数々の暴言を浴びせられてきた。
「はっ?きもいんですけど」「大丈夫です」「間に合ってます」「無理!」「うぜーな!」「・・・(中指を静かに立てられる)」などなど。
打率はたいしたことはなかったが、打席に立った数ならそれ相応だと自負している。
カウントしていないので、分からないけど。。野鳥の会のようにカウントしておけばよかったと後悔している。
10年間もやっていると、少々の暴言を吐かれたくらいでは全く動じなくなる。
もはやそれがいいことなのか悪いことなのか分からなくなってきたが、振り返るとプラスの効果をもたらしている。
一番の収穫は、なんかあったら「街で声かければいいや」と思えるようになったことである。意味不明な自信が勝手についてしまうので、必要以上に異性を求めなくなる。
副産物もある。異性を徒に求めなくなると向こうからきたりするもので、人生面白いものである。捨てたものではないのである。
一見非常にチャラい行為にも思えるが、実は欲望を先送りにすることもつながるのだ。
ナンパという言葉自体が、普及させるのも恥ずかしい感じだが、やった人にしかわからない果実を間違いなくつかむことができる。
性に悶々としている人たちよ、身近な人や関係のない人に迷惑をかけている場合ではない。
ナンパもはた迷惑な話だが、犯罪よりはマシだ。自由競争社会に身を投じて、どんどん戦おうではないか。
何よりも時間もかからないし、お金もかからない。15分あれば30人くらいに声をかけられる。
必要なのはノリとトークのアイディアだけだ。
これからも読書とナンパについては、その魅力を語っていきたいと思う今日この頃である。