書評習慣

大嶋暫と申します。書籍応援業。おすすめ本に関する書評ブログです。様々なコラムやエッセイも書いております。少しでも面白い書評が書けるよう奮闘中です。

ジョギングを習慣にする方法

ジョギングを習慣にする方法はなかなか走りださないことである。逆説的ではあるが、そうだと思う。

 

これは何も動かないということを言っているのではない。あくまで走らないということである。まず、歩いている状態をキープするのである。

 

そして、走りたくなったら走る。距離は1キロでも300メートルでもかまわない。むしろ15メートル位走って、また歩き出してもいいと思う。

 

かの所ジョージは、俺は富士山の頂点を目指すのではなく、5合目で売店をやりたいというようなことを過去に発言している。

 

自らのポジションを判りやすく伝えるこの上ない表現だと思う。何もすべての人が高みを目指す必要はない。低地でのんびり過ごす人にも代えがたい価値は生まれるものである。

 

全員がトライアスロンをして、がちがちに走っていたら道路が気持ち悪くてしょうがない。世の中には一定以上のゆるさが必要である。

 

話は飛ぶが、宮沢章夫という作家がいる。本職は劇作家だが、この人のエッセイがなかなかどうして味わい深い。著作の一つに『時間のかかる読書』というのがある。横光利一作『機械』を11年間かけて読み、それについて書くという途方もない作品である。

 

そんなことをし何が面白いの?と問うてくるかもしれない。そういう方は、自分の知性のなさを嘆くべきである。

 

短編に10年以上費やすのは、もはや精読や遅読のレベルでは済まされない。狂気の沙汰である。

 

11年間というタイムスパンには目を見張るものがある。誕生した子供は小学5年生になっているし、ワールドカップは約3回弱開催されている。

 

しかしながら私は、この営みは人間の知性がもたらす素晴らしい取り組みだと思う。

 

わざと遅らせるということは、人間にしかできない。仕事の先送りは褒められたものではないが、文化活動の積極的な先送りは、高度な文化活動の一環といえるだろう。

 

ランニングも同様で、走らなきゃ、続けなきゃと思うから走れない、続かない。

がんばらなきゃという使命感、義務感は決して健康的ではない。

 

気づけばここまで来ていたという状態が理想的である。

だから3日坊主でもかまわない。またやりたくなったらやればいいのである。

 

歩いていさえすれば、いずれ走りたくなるものである。