高配当株にコツコツ長期投資

書評中心に記事を書いてきましたが、装いも新たに、高配当株投資をテーマに様々なことを書き散らしていきたいと思います。

コラム:日本で自分が一番詳しいと断言できるものは何か?

普段はこの時間は寝ているのですが、

たまたま起きていたら面白い企画がはじまり、

くぎづけになりました。『セブンルール』は、

知っていましたが、特に出色の会でした。

 

『デザインのひきだし』編集長の津田淳子さん。

 

日本で一番、紙の印刷の分野に詳しいと言われている人です。

 

発売と同時に即完売ということもある『デザインのひきだし』

 

番組で紹介された津田さんの仕事へのこだわり、集中力、熱量。

どれをとっても突出しておりました。

 

こういう方の活躍をみるにつけ、これからの時代「超絶偏った人」が活躍していくんじゃないかと思わざるを得ません。いい意味ですよ!?

下手にバランス感覚があると、評論家から抜け出せない。生み出す側に回れない。そんな気がします。

 

自分は、日本でひいては世界で、何が一番詳しい人なのか。

自問自答するよいきっかけになりました。

 

自分がアメトーークに出演するとしたら「〇〇芸人」なのか?

これはだれしも一度考えてみる価値のあるテーマではないかと思います。

 

コラム:なぜ熊のキャラクターはたくさんいるのか?

テディベアー、LINEのブラウン、くまのプーさん、くまもん、

 

と熊をモチーフにしたキャラクターはたくさんあります。

 

絵本でも、こぐま社のこぐまちゃんシリーズ、酒井駒子さんの『よるくま』

中川 李枝子さんの『くまさん くまさん』など

たくさんのシリーズがあります。

 

なぜ、こんなにも熊は、愛されているのでしょうか。

ちょっと調べてみました。

 

テディベアあたりにヒントが隠れているのではないか

と思っていたら、ネットに参考になる記事がありました。

 

以下引用します。

 

”『テディベア大図鑑』(ポーリン・コックリル著 上沢伸子訳 日本ヴォーグ社 1994)

 p8 「熊(または、ヒグマ)は19世紀の終わりごろ、子供部屋では物語の登場人物としても玩具としても、ごく当たり前の存在だった。というのも、曲芸する熊が旅回りの調教師と共にあちこちを巡業していたため、ヨーロパや北アメリカではなじみ深い動物だったからである」とあり、テディベアの原型やルーズベルト大統領のエピソード、テディベア・ブームの始まりなどの記述あり。

 p216 「子どものおもちゃには、世の中を反映しているものが多い。そう考えると、19世紀におもちゃ産業が発達したときに、ベアのおもちゃが広まったのも当然のことと言えよう」とあり。”



いやあ私も知りませんでしたが、ヨーロッパや北アメリカでは古くから

熊というのは身近な存在だったようですね。

 

また

 

『熊 ものと人間の文化史 144』(赤羽正春著 法政大学出版局 2008)

 p6 「猛獣のぬいぐるみを「かわいい」とする神経には、人の心の奥底で熊はたんなる猛獣ではなく、人の心の片隅で生き続けている自分自身であることを示しているのではないか」とあり。

 p19-20 図5「熊構造図」に「ぬいぐるみ・童話・文学」あり。「(前略)人にとっては熊の体すべてが薬であった。このように人から見た熊は大自然の中にあってそれを克服した聖なる獣であり、山の神の標であった。この熊が人間社会では魔を退散させる役割を担い、方相氏や鬼となり、母系はトーテムとなった。薬は人の病を治し、丸くて黒い体は人に投影されて文学の主人公やぬいぐるみとなって人に癒しを与えた」とあり。”

 

日本においても、熊を特別なものとして捉える文化は古くからあったと考えることができそうです。

 

となると、日本に、元々熊を特別視する土壌がありつつ、ヨーロッパやアメリカから

文化が輸入されれば、自然と浸透したというのもうなづけます。

 

ここからは私見ですが、イラストにしたときに、「非常にとっつきやすくてかわいい」

という点も熊が愛される一つの理由なんではないかと思っています。

 

参考

レファレンス協同データベースより抜粋

http://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000193564




コラム:表現を尊重する日常生活を送る

ものを作る人間に必要なことは何か?

 

最近そんなことばかり考えていますが、

誰かが作ったものを尊重し、愛することだと思います。

 

たとえば、絵本作家のあべ弘士さんは、

 

インタビューで次のように答えています。

 

おいしいものを食べて体を作るのと同じように、作家としての基盤を作るには、いろいろなものを食べなければいけないと思う。落語、歌舞伎、映画、美術鑑賞、運動したり、自然のなかに身を置くのでもいい。そして忘れちゃいけないのは、本をたくさん読むこと。知識は必ず役に立つ。そういうことをして、人間の懐を深くしてほしいです。

 

ここに、表現者として必要なこと、心がまえ、すべてが

詰まっていると思います。

 

誰かが作ったものをリスペクトの気持ちを持ちながら、

楽しみ、愛し、学ぶ。

 

あべさんも言っているように、人間の懐を深くしてこそ、

人の心を動かせるものを作ることが出来るのだと思います。


参考URL

講談社絵本通信 第14回

http://ehon.kodansha.co.jp/archives/interview_sakka14.html

コラム:普遍性という名の中毒性について

絵本には、長く読み継がれるものとそうでないと

分かれます。

 

長く読み継がれる作品には共通点があります。

 

少し固い言葉を使うと、普遍性があるかどうかだと思います。

 

では、普遍性とは何でしょうか。

 

それは、

 

50年前の子供だろうが、100年後の子供だろうが楽しめる事。

 

そういうことだと思います。

 

時の流れという、不可避の淘汰に

打ち勝つだけのパワーを持っていること。

それが、普遍性を持っているコンテンツの特徴だと思います。

 

さらに普遍性があるということは、廃れないということ。

それは、中毒性があると言い換えることもできます。

 

自分が作った物には、普遍性があるかどうか。

 

このものさしを持てるかどうかが

生き残れるクリエイターになれるかどうかの

分岐点ではないかと考えています。

コラム:朝の準備に使う15分

皆さんは朝の準備って何をやっていますか。

 

どうでもいい話ではありますが、私の場合をご紹介します。

 

トイレ→洗顔コンタクトレンズをつける→ひげそり→鼻毛そり→寝ぐせ直しのドライヤー

 

→着替え

 

ここまでで、だいたい15分かかります。

 

鼻毛そりは、最近30代も後半にさしかかり、

気づくと1本鼻の外に出ていたりするので、

まめにメンテナンスすることにしました。

 

この15分とは実は、どんな人でも変わらない時間なのでは

ないかと最近思い始めました。

 

だからこそ、

6:00~活動したいなら5:45分

5:00~活動したいなら4:45分

 

この15分の違いを出すこと、言い換えると、

ないものとして認識しておくことは、毎日の質をちょっと高めるために

大切なんじゃないかと思うこの頃です。

 

コラム:言語化するということ

音楽を聴いた感想、今の気分、初めて見た動物の印象。

 

新たな出会いというのは、意識するとそこかしこに転がっている

ものです。

 

でも、ぼーっと生きていると見過ごしてしまうものばかり。

 

だからこそ、モノを生み出す人は、常に意識しておかないと

いけないのだと思います。

 

キーワードは、言語化ということではないか。

 

冒頭にあげたようなとても抽象的な体験や出来事を

いかに言語化するかというのは、特に言葉を使って表現活動を

する人には必要不可欠だと感じます。

 

思いを代弁できること。命名されていない印象を言葉で切り取ること。

 

これは、表現者となるうえで、とても大切なことなのではないかと

最近感じています。

コラム:日産自動車の課題

以下は、日経新聞2019年2月27日付、

日産に関する記事からの抜粋です。

 

”西川のトップとしての行動に対する戸惑いの声もある。古参幹部は「今は皆でまとまるべき時なのに西川は自分しかいないという思いが強すぎる。自ら孤独の道を選んでいる」と嘆く。”

 

この部分を読んで、無性に腹が立ってしまいました。

それは、西川社長に対してではなく、古参幹部達にです。

 

過去に業績が、にっちもさっちもいかなくなったときに、

突如現れ、辣腕を振るったのがゴーン氏。

 

内情は知りませんが、それはそれは凄まじいワンマン経営だったんだと思います。

従業員側にいて、悲しい思いをした人も多数いると思います。

 

それでも日産の業績は急回復。救世主となったことは間違いないでしょう。

 

ゴーン体制を敷いて、業績の拡大を実現した日産。

一方で、自分の頭でものを考えない社員や幹部を増やしてしまった

可能性もある。私の勝手な仮説ですが。。

 

会社全体がどこかことなかれ主義に陥った部分があるのではないか。

 

そういう意味では、西川社長が、独走したくなるのも無理はないのでは

ないかとも思うのです。