リース会社です。細かいことは分かりませんが笑
とにかく乗りに乗っている企業です。
社員数は連結で300名ほど。少数精鋭の高収益企業です。
配当利回りは、4.75%
株価も右肩上がりで、伸びています。
リースと言えば、 オリックス、三菱HCキャピタル、東京センチュリー等
が有名ですが、近い将来、有名になってくる気がします!
気になった方は、深堀してみてください。
今日紹介するのは、スプリックスです。
学習塾や教育コンテンツを展開する企業です。
具体的には、湘南ゼミナールや河合塾マナビスなどを運営しています。
代表は、常石博之さん。元々は三菱銀行の銀行員でした。
筆頭株主は、フラットストーン。
そのシンプルなネーミングに好感が持てます笑
予想配当利回りは、4.73%
ここ数年売上高は、右肩上がりで、伸びており、配当金も徐々に増加している
状況です。
では、このスプリックス。
どこに競争力の源泉があるのか?
少し、強みを紹介していきたいと思います。
それは、学習塾という業態にありながら、ITへの投資を惜しまず、
データをしっかり取って、経営に活かしていこうとする姿勢と実行にあります。
例えば、そら塾においては、講師の講義を録画し、生徒の成績アップにどれくらい
影響を与えているのか、分析を行ったうえで改善につなげているとのことです。
プライムの基準を満たせず、スタンダードに移行とのことですが、
配当金を増価させる志向は、株主としては好感が持てるんではないでしょうか?
私自身は、TOFASという基礎学力事業というのが、
素敵だなと思いました。世界共通でオンラインで実施できるところも魅力ですし、
自分の子どもにもやらせてみようかなと思いました。
日本銀行の役割って、みなさんご存じですか?
今日は、マクロ経済を理解する上で、避けては通れない中央銀行である日本銀行についてまとめてみたいと思います。
日本銀行は、物価の安定と金融システムの安定を目的として、様々な業務を行っています。
日本銀行は、唯一の「発券銀行」として、銀行券を発行し、金融機関との間で銀行券の受払を行うことなどを通じて、その安定供給を確保するとともに、受け入れた銀行券の鑑査(枚数の計査、真偽の鑑定および再利用可能性の判別)など、銀行券の信認を確保するための業務を行っています。
2.決済に関するサービスの提供
金融機関から当座預金を受け入れ、当座預金の振替によって金融機関の間の資金決済を行うシステムを提供しています。また、日本銀行は、国債振替決済制度など国債の決済システムも提供しており、国債取引に伴う受渡しを帳簿上の口座振替などによって処理しています。
3.金融政策の運営
物価の安定を目的として、金融政策を決定・実行しています。金融政策とは、オペレーション(公開市場操作)などの手段を用い、金融市場における金利や金融機関が貸出を行う際の金利の形成に影響を及ぼすことを通じて、企業や個人の投資・消費行動、ひいてはマクロ的な経済・物価動向に働きかけることです。
4.金融システムの安定に向けた取り組み
金融システム(お金の受け払いや貸し借りを行う仕組み)が正常に機能し、企業や個人などが安心して利用できる状態を確保するため、金融機関に対し、業務運営の実態や各種リスクの管理状況、自己資本の充実度や収益力についての実態を把握するための調査を行い、経営の健全度の維持・向上を促しています。
5.国の事務の取扱い、対政府取引に関する業務
政府預金として預かっている国庫金(国の資金)の出納・計理、政府預金の管理および政府有価証券の受払・保管などの事務(国庫金に関する業務)、国債の発行、振替決済等。
簡単にまとめると、上記の5つになります。
より深く知りたいという方は、関連書籍を読んで理解を深めていきましょう!
昨日の帰り道の事である。
左車線を直進している時に、対向車線に右折中の車を発見した。
車種は、白いメルセデスベンツSクラスである。
いわゆる超高級車だ。
私の前に、2,3台走っていたが、そのベンツは躊躇なく、右折し目的地に入って行った。
直進車はクラクションを鳴らすことなく、通過していったが、さぞかし、肝を冷やしたことだろう。
私は、どんなドライバーさんが運転しているのか、ふと気になって、そのベンツの後を追ってみることにした。
白いベンツが問答無用の右折をして、侵入していった先に待ち構えていたのは、あるファミリーレストランである。
車のナンバーを確認すると、「1」。
相当こだわりのある人か、あるいはその筋の人かもしれない。けど、そんなレアキャラが、ファミリーレストランになんの用があるというのだろう。ドリンクバーでひと息つきたいとでも言うのだろうか。
たとい、ひと息つきたいからといっても、さっきの、右折はとても頂けない。直進車がその筋の人だったら、抗争に発展しかねないほど、直進車の
メンツを潰す代物だった。
まあそれはいいとして、前を走るベンツである。
駐車場はところどころ、空いているのに、駐車する気配がない。
そのまま駐車場を直進し、ファミレスに駐車することなく、左折して、出て行ってしまった。そっち方面は、私は家とは逆方向なので、残念ではあったが、右折して帰路につくことにした。
バックミラーで行方を確認すると、ハザードランプをつけて、駐車し始めたではないか。
私も右折したものの、気になったので、左に寄せて一時停止した。しばらく後方を注視していたのだが、外に降りてくる様子はない。
さすがに、このあと、後ろにつけたら晴れてこちらが不審者の仲間入りをしてしまうので、ご尊顔を拝みたかったがその欲望には蓋をして、家路についた。
一体全体、何をやりたかったのだろうか。
おそらく、出ないとまずい人から着信があったのかもしれない。
それで、直進し続けることを諦めて、無理な右折をして、ファミレスに入った。
しかし、後ろから私が追いかけてしまったため、一応気を遣い、ファミレスに駐車することは諦め、左折して出ていき駐車。
そして、ようやく落ち着いて会話をすることができるようになった。
という着地でどうだろうか。
小学生の頃だったろうか。まだ田舎に住んでいたころに、いとこが東京から遊びに来たことがあった。
その就寝時の話である。
当時、そのいとこはCDプレイヤー持参で遊びに来ていた。少し年上のお兄ちゃんで、いつもついて回り遊んでもらっていた。
そのお兄ちゃんに寝る前、イヤホンを半分貸してもらって、音楽を聴かせてもらうことになった。
その時に聴いたのが、たまの『さよなら人類』だった。
私は、聴き始めてすぐに眠ってしまったらしく、そのことを翌朝いとこから聞いた。
その時のことは今でも鮮明に覚えていて、心地よく眠ったときに、聴いたということで最高の思い出の曲となっている。
最近、ふと、『さよなら人類』が聴きたくなって、YouTubeで聴いてみたら、やはり名曲も名曲で、なんとも心地よいではないか。
ちょうど子どもを寝かしつけているタイミングだったこともあり、寝室で流しっぱなしにしたところ、3人ともほどなく眠ってしまった。
効果てきめんではないか!
では、なぜ『さよなら人類』を聴くと、安心して眠りにつけるのか。しばらく曲を聴きながら、あれこれ思いを巡らせていると、結論を出すことができた。
そう、『さよなら人類』のリズムは、盆踊りのリズムだったのだ。なぜ盆踊りのリズムが心地いいのかは、あえて考察しない。
その理由は、日本人の祭りと言えば、盆踊りであり、DNAレベルで埋め込まれている、
全日本人の基本スペックであるからだと乱暴に思い込むことにする。
盆踊りの太鼓のリズムとは「タンタンタン タカタッタ タ・タンタ・タン」
である。
このリズムに、冒頭の部分「二酸化炭素を吐き出して」をあてはめてみてほしい。
「①二酸化炭素を ②吐き出して」
「①タンタンタン タカタッタ ②タ・タンタ・タン
どうだろうか。
とってもしっくりこないだろうか。
つまり、たまの『さよなら人類』を聴くことは、盆踊りのリズムを聴いてるのと、同じことになるわけである。
だからこそ、なじみのリズムに安心感を感じて、眠くなってしまうのだろう。
中には、祭りの象徴である、盆踊りのリズムを聴くと、テンションが上がって、寝るどころではないという人もいるだろう。
けど、たまのリズムが日本人にしっくり来ていることはどうやら間違いなさそうだ。
車の運転をしていて、イライラすることは頻繁にあるが、私が一番イライラするのは、車線変更や右左折時のウインカーのタイミングが遅い人並びに、そもそも出さない人だ。
狂気じみたことを言うかもしれないが、本当は、見つけ次第、捕まえて、ボコボコにして再起不能にしたいくらい、腹が立っている。
奥さんにこの話をすると、そんなに怒る話じゃないと言われるが、私にとっては、大きな問題なので、今日は、なぜウインカーを出さない人に腹が立つのか、腰を据えて考えてみたい。腹は立つのに、腰は据えるのかと。
それはいいとして。
そもそもウインカーとは何のためにあるのか?
それは後続車に自分の意志を伝えるためである。
「右に曲がりますよー」とか「そっちの車線に入れてください」とか。
つまり、ウインカーを出さないということは、その意志表示を放棄またはないがしろにしているということになる。
ウインカーを出されない側の身になって考えても見てほしい。
赤の他人にないがしろにされる気持ちが分かるだろうか。
気持ちいいはずがない。
特に私のような心がオラオラしているの人間は、即座にこう判断する。
「あっ!舐められた」と。
これがいけない。。人間舐められたと感じた時は、思いのほか腹が立ってしまうものである。
でも、運転していると分かるのだが、世の中ウインカーを出さない人間は、思いのほか多い。
私なんかは、心はオラオラしていても、人への気遣いエンジンは常時フル回転なので、
ウインカーを出さないという行為はちょっと考えられない。。
先日、スーパーマーケットに立ち寄った時に、車に積んでいたペットボトルを捨てることにした。うちは2Lの水をペットボトルで購入しているのだが、干してつぶした状態で回収BOXに入れるようにしている。
そのスーパーでも、緑色のコンテナに張り紙がしてあって「つぶしてからお入れください」と注意書きがしてあった。
ふたを開けてみると、そのスーパー、ほとんどのペットボトルが”つぶされないまま”、
中に入れられていた。ひどいのになるとラベルもついたままであった。開いた口が塞がらないとはこのことだった。
この時の出来事は、私の脳裏に焼付き、強烈な印象を与えることになった。
世の中には、書いてあることさえまともに実行できない人がわんさかいるのだ。
ペットボトルをつぶして捨てるくらいは、正直子どもでもできるし、もっといえば、サルやチンパンジーやゴリラだってできるかもしれない。
踏んでみると意外と気持ちのいいものだし、もしかすると人間よりも嬉々としてやるかもしれない。サルだけに。
そう考えたら、運転中にウインカーを使いこなせない人間がいることも容易に想像できる。
仮に、そんな人間を再起不能にしたところで、こちらにはメリットはないであろう。
ゴキブリを1匹殺したところで、世の中はなにも変わらない。ウインカーを出さない人間をとっちめたところで、正直世の中は何も変わらない。
そう考えると、世直しの大変さに途方に暮れるというよりも、とても気が楽になった。
こないだ、全然ウインカーを出さず、無理な車線変更をする自動車がいたので、
信号待ちで隣りにつけて顔を見てみた。
石像とほぼ同レベルで微動だにしないおばあさんが両手でハンドルに手を添えていた。
そういう時代に生きている。